プロローグ

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 いや、血の匂いと料理の匂いが同時にやって来たのは、確かにわたし自身の記憶だったかもしれない。  肺の病気による喀血ではないけれど、わたしは、喉から口の中まで血に満たされた経験がある。血を吐いたときに口の中でどんな匂いがするかを知っている。  食べることと命を保つことがとても近い関係にあるのを知っている。生きることがイヤでイヤでたまらなかったころ、わたしは上手に食事を取ることができなかった。  普通、人間には空腹感と満腹感がある。人間は「おなかの減り具合」という体感のセンサーによって、おおよその食事時間を測ることができる。  わたしには、それができなかった。わたしは人間として、あるいは生き物として、おかしかった。機能が狂っていた。  空腹か満腹かわからなかった。味を感じることができても、おいしいと感じることができなかった。食事を取れば、胃の中に食べ物が入っていることを気持ち悪かった。際限なく食べて全部を吐く。そんな呪いのような習慣を絶てない日々が続いた。  摂食障害、という。  食べることや飲むことを拒絶するのも、食べることへの調整が利かずに食べすぎてしまうのも、食べた後で食事行為を否定して吐かずにいられないのも、摂食障害だ。     
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