ダークブラウンの少年

2/10
8人が本棚に入れています
本棚に追加
/10ページ
 ベーカリーの仕事を終え、私のマンションまで着くと、時刻は二十二時近かった。  二月の風は冷たい。肩甲骨の辺りまで伸ばした髪が、冷気を含んで頬に貼りつく度に、鳥肌が立つ。  二十二歳の、二十二時の、二月。  特別でもなんでもない。夜はただ暗いし、街灯はただしらじらしい。  出入口のドアを押し開いて、階段で二階の自室へ向かう。  五つ並んだ同じ色のドアの、一番奥。トートバッグから鍵を取り出し、屋内でも白い自分の息を見る。  その向こうに、見慣れないものがあった。  頼りない屋内照明の中、薄暗い隅に、私では抱えきれなさそうなほどのサイズの、ほの黒い塊が置いてある。  私はしばらく、その物体を見ながらぼうっと立ちつくしていた。  やがて、塊が動いた。  丸まっていたシルエットがほどけ、手足と首があらわになる。  人間だ。  それも少年。  うずくまっていたのが立ち上がると、私よりも頭ひとつ分背が低い。肩まで伸ばした髪はやや女性的だったけれど、その細くも骨ばった体つきと精悍な顔は、間違いなく男性のものだった。  濃い茶褐色の髪。コートは着ておらず、いくら暖冬といってもいかにも寒そうな黒い長袖シャツに、色が濃過ぎて判然としないものの、恐らくは黒のジーンズ。靴は黒いスニーカーだ。ただ、顔や手の肌だけがうっすらと白い。 「怪しいものではないんですが、……いえ、怪しいですよね」  声変わりしたばかりのようなかすれた声で、少年が言った。 「まあ、それなりに」 「中学一年生なんです。補導されたくない」 「今出ていけば、特に問題にならないと思うけど」  外からは、静かすぎる夜の街をどこへ走って行くのか、パトカーと救急車の音が聞こえる。 「泊めてくれませんか。ここの部屋の人ですよね」 「そうだけど。どうしてうちに? 自分の家に帰りなさい」  またサイレンが鳴った。  私はため息をついて、言う。 「なにかあったのかな。パトカーが多いね。物騒だから、君も早く――」 「あれは、僕を捕まえに来たんですよ」 「あのね、マンションの廊下に忍びこんだくらいで」 「僕の母親を刺しました。だから帰れない。部屋に入れてください」  少年は後ろに回していた右手を差し出した。  その手のひらには、赤く濡れたナイフが握られていた。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!