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壁掛け式の時計から電子的な鐘の音が流れると就寝の時間だ。
キリコの立ち合いのもと、看護師が僕の身体を強化プラスティックのベッドに拘束する。僕は朝起きて何も憶えていないのだが、就寝中に激しく暴れて自分の身体を傷付けようとするらしい。
「問題を起こす前の自分に戻りたいという強い願望と自分が現在置かれている状況との乖離による心の歪が原因だと思うわ」
キリコの見立てに僕は納得している。社会から隔絶されたこの施設に居るから平静を保っていられるが、おそらく一歩外に出ようものなら、たちまち僕の精神は粉々に砕け散ることだろう。
僕の住んでいたアパートの住人、おそらく僕に声を掛けてきた新顔だろうと推測されるが、その彼がマスコミのインタビューで、あることないこと好き勝手に答えた結果、現代の妖怪屋敷というレッテルが貼られてしまった。僕やあの女は其処に巣食うおぞましい妖怪だ。
猟奇的な事件の犯人という世間の共通認識だけでも、とても耐えられそうにないのに、現代社会に存在した妖怪という扱いは考えただけで失禁しそうなほど恐ろしい。
僕の心の内を知ってか知らずか、キリコが無慈悲な今後の方針について切り出した。
「自傷行為さえ治まれば、具体的な社会復帰へのプロセスを考えるべきだと思っているの。勿論、私も引き続きサポートするけど、医療ソーシャルワーカーが主体になる筈よ」
「ちょっと待ってくださいよ。社会復帰なんて無理に決まってるじゃないですか?」
「意外ね。問題を起こす前の自分に戻りたかったんじゃないの? それがあなたの最も叶えたい望みでしょう?」
「それはそうですけど、そんなの現実的には無理じゃないですか。だって、妖怪ですよ。先生だって知ってる筈だ。誰もが僕のことを醜い妖怪だと思ってるんですよ」
「誰もが、じゃないわ。そうでない人もいるでしょう?」
「そんな建前論、止めてくださいよ。僕を無理やり社会復帰なんてさせたら、今度こそ本当に精神が崩壊して二度と元には戻らなくなっちゃいますよ」
僕は自分の発言を聴いてハッとした。
精神の崩壊・・・・精神が崩壊すれば、欲望など存在しなくなるのか・・・・
僕は何とか身体を四分の一回転させてキリコの声のする方向に顔を向けた。
「先生。精神が崩壊したら、あらゆる欲望も消滅するんでしょうね?」
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