第1章 入室

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第1章 入室

落ちた看板を扉にかけて、息を吐いた。 部屋に散らばった雑貨達を眺める。 律儀に時を刻み続ける時計。折り紙で作られたチェーンと、原型を保ったままの折り紙。随分子供向けに作られた玩具。デスクの上で湯気を立てるコーヒー…否、ココアだろうか。 そして、不規則に並ぶ植木鉢に囲まれた彼女。 僕と同じ様に、懐かしい顔の周りには真っ白なリボンが浮かんでいて、目元が見えない。 でも部屋に入ってきた瞬間に、彼女だとすぐに分かったんだ。 彼女は冷たい床にぺたん、と座って俯いた。多分、彼女が感じているのは絶望だ。 彼女が入ってきてから僕は一言も喋っていない。 彼女が取られたのは多分、視力だ。耳しか頼りが無い彼女にとって、喋らない僕は居ないのと同じだ。 声は出さないで、やり切れなさに沈黙で叫んだ言葉なんて、此処じゃ全く役に立たない事は、わかってるだろう。 僕は、叫べない。僕が取られたのは、叫び。だから今叫んだ、叫ぼうと思った言葉も、消えて行く。この白いリボンを切らない限りは、僕らにそれが戻って来る事は無い。 僕はゆっくりと彼女に歩み寄る。彼女は動かない。足音を立てない様に、慎重に。彼女の目の前まで来て、しゃがんだ。リボンの所為で、彼女の顔はよく見えない。 僕は口を開いて、それでも沈黙が壊されない程度に、言葉を発した。 「…大丈夫?」 びくり、と彼女の肩が上がった。 彼女は恐る恐るといった様子で口を開く。 「…居たの?」 まあ、そりゃ、見えないんだからわからないよな。 「ずっと居たよ。君が来る前からずっと。」 久し振りに聞いた自分の声は、思ったよりも低くなっていて。最後に僕の声を聞いたのは、いつだったっけ。 此処に来てから、どのくらい経ったっけ。
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