第12話 オープンキャンパス

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 やがて、実験棟に着いた。 「学生、居る?」  人見知りがある知己は、家永の実験室をあける前に思わず尋ねていた。 「いや。今日は休みだから、俺だけ。昨日からの実験の関係で、泊まり込み」 「そんな大変な時に呼び出して、すまん」 「いいよ。呼び出しくれて。少しは外の空気も吸わないと」  もしも、ここに門脇が居たら 「さっきは案内しないって言ったくせに!」  と怒りだしていただろう。 (平野に呼び出される分には、全然かまわないどころか、大歓迎)  家永も自分の言動に矛盾を感じていた。 (俺も、門脇君のことをとやかく言えないな)  でも (嬉しいものは、仕方ない)  我ながら、豹変ぶりに呆れる。 「その辺、座って」  実験室の中央、学生たち授業の合間にやってきて座るパイプ椅子に知己を勧めた。データの処理なども、そこでしている。長机を二つ付けた簡易で質素な何にでも使えるテーブルだ。 「コーヒーでいいか?」  奥の小さな流しにいくと、備え付けのコーヒーメーカーにスイッチを入れる。  家永はカップを出しつつ、聞くと 「あ、俺が入れるよ。家永は、実験に集中して」  気を遣って知己が言った。 「いい。お前の入れたコーヒーは、もれなく不味い」 「……」  そう言われたら、知己は黙るしかない。身に覚えが有り過ぎる。  コーヒーをセットして、家永は知己の元に戻った。  コーヒーが入るまでまだ時間はかかるし、実験の次のデータを取るのも、二時間後でいい。 (久々に平野とゆっくり話せるな。マセガキだけど、この機会をくれた門脇君に感謝だ)  あの生意気な門脇に感謝……そう思うと、なんだか変な気分だ。 「平野。最近、なんか面白いことあったか?」  知己の真向かいに座りつつ、家永が尋ねた。 「そうだな……。あ、そうだ。久々に袴着た」 「袴?」 「俺、高校の時剣道部だったから、懐かしかった」 「何だ? 体育祭の仮装?」  月一逢瀬で、家永は去年のゴスロリ女装も一昨年のホスト仮装も知っていた。 「いや、さすがに今年はそれはなかった」 (……なかったことにしよう)  樋口の悪のりも、家永にとっては珍しくないが。取り立てて、二次会での女装をわざわざ家永に報告したくはなかった。 「色々あって応援団の衣装を着たんだ。それが、袴」 「へえ。それは見たかったな。平野、和装が似合いそうだし」 「本当はそんな予定なかったんだけど、けが人が出て、急遽、代わりができるのが俺しか居なかったって話」  家永の食いつきっぷりに、少し照れて知己が言った。 「それが奇跡の始まり」 「奇跡?」 「応援合戦、まさかのお互い満点で。でも教師加勢で同じように減点されて、奇跡の引き分け」 「引き分けが、なんで奇跡?」 「あ、うん……。まあ、そういうことって俺が知る限り今までなくって、必ずどちらかが勝っていたんだ」  まさかキスを賭けていたなんて、家永に言えない。 (絶対にバカにされる……)  知己の微妙な表情に何かあるとは思ったが、知己が言いたがらないのだ。長年の付き合いでそれが分かる家永は、あえて聞かなかった。 「ふうん。教師が手伝うと減点されるのか。お前のとこの学校、厳しいな」 「そう?」 「面白がって、メンバー調整で教師参加の競技があるって、学生が言ってた」 「そんな学校もあるのか」 「他にも、障害走で2種類のトンネルくぐりがあるんだが、ものすごく狭いものとそこそこのものがあって、そのトンネルの狭い方には『東大』と書いてあるって」 「へえ」 「なかなか通り抜けられないのに、あえてそっちを選んで通りたがる生徒もいるらしい」 「験担ぎかぁ」 「まあ、大学には体育祭もないから、高校時代のいい思い出ってことでいいんじゃないか?」  そこでコーヒーを注ぎに、家永は一旦、席を立った。 「お前のことだ。袴着られるのは嬉しいけど、いやいや手を貸したんだろ?」 「まあ、そんな所」 「相手側にも減点があったのなら、そっちにも教師の加勢があったってことだよな。お前の学校で、そんな事に手を貸しそうな人って……樋口先生?」 「あの人はどんな仕事も楽しむから、頼まれたら断らないだろうけど……家永の知らない人だよ。そういえば、喜んでしたのか否応なくしたのかは、聞いてなかったな」 「ふうん」  コーヒーカップを知己に差し出しつつ (俺の知らない人……か)  職場が違うのだ。  しかも月に一度しか会えない。  全てを知己に教えてもらえる筈もない。  そんな事があるのが仕方ないとは思われるが、なんとなくそれがつまらなく思えた。  それが、表情に出ていたのだろう。  知己が 察したように 「新しく来たクロード=井上っていう英語の先生だよ」  コーヒーを受け取りつつ、家永の知らない人に対して説明を付け加えた。  コーヒーを渡したついでに、家永は、今度は知己の隣に座った。 「ハーフ?」  名前から簡単に推測できる。 「そう。だから、当然といえば当然なんだろうけど、めっちゃ英語がうまくて、競技で『We will rock you.』を歌った。クロードは歌もうまいし、応援の競技にも合っててすごくかっこよくて……。俺、正直鳥肌立ったよ。完璧な出来だった。もう、これは負けたかもって思った」  と言いつつ、あの時の切羽詰まった自分を思い出す。  そう思ったから、あんな大胆な行動が取れたのだと、今更ながら自覚した。そうでなければ、競技の勝ち負けなど些細な話だ。 「ああ、それはかっこいいな」  定番の競技ソングに、家永も頷く。  それが、ネイティブスピーカーで浪々と歌われた日には、鳥肌ものだろうと納得する。 「どうも元々歌がうまい人みたいで、体育祭打ち上げの二次会でカラオケ行ったんだけど、そこで『なんか歌って』って俺がリクエストしたんだら『Born to love you』を歌ってくれた。これも、めっちゃうまかった」 「え……?」  家永が、一瞬黙った。 (いやな予感がする……!)
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