302人が本棚に入れています
本棚に追加
門脇が居なくなって、やっと静かになった理科室だったが、15分も経たない内に
「知己ー!」
今度はクロードが理科室に飛び込んできた。
「……クロード」
思わず身構えてしまう。先日の家永の忠告が生きているようだ。
「?」
不思議そうな顔をするものの、特別気にする様子もない。
「どうして体育館に来てくれなかったんですか?」
「あ」
(そういや、クロードから誘われていたのを忘れていた)
クロードは、先日の体育祭での歌唱力を買われ、文化祭で吹奏楽部の演奏の後半、お遊びパートで歌って盛り上げる役を頼まれた。
それに誘われていたのを忘れていた。
「ごめん」
「面白かったのに!」
「何やったんだ?」
「フラッシュモブです」
「なに、それ」
聞くと、ステージに居る吹奏楽部の演奏に合わせて、クロードがMジャクソンの「Beat it!」を歌ったらしい。
歌に合わせ、フロアにいるダンス部のメンバーが数人踊り出し、周りにいる生徒たちも巻き込んでのダンス大会になったという。周りの生徒たちの中にもダンス部が紛れ込んでいて、うまく扇動した。若い生徒たちはすぐに見よう見まねで踊りだし、それはそれは盛り上がったらしい。
「盛り上がりましたよー! MichelJacsonだけじゃなくLady GAGAとか、きゃりーぱみゅぱみゅとか」
(クロード……、きゃりーも歌えるのか?)
楽しそうなクロードとは対照的に
(い、行かなくてよかった……)
賑やかなのが苦手な知己は、心底思った。
きっとそこに居たら、生徒たちに無理矢理踊らされたに違いない。
「ところで、知己はここで何を?」
(その質問は二度目だな)
持っていた実験用のろうそくをクロードに見せると
「もしかして、……SMぷれ……」
「違うよ」
意外すぎる反応に、知己はすべてを言わせなかった。
「片付けだよ」
「片付け?」
「実験後に生徒たちに片付けさせるんだけど、いい加減なんだよ、あいつら。適当に入れやがる。で、適当に入れられたら、後の奴らも何をどこに入れるか分からなくなって、更にいい加減になっていく。ほっとくとどんどんごちゃごちゃになる……悪循環ってヤツだな。最終的に、俺さえも何がどこにあるのか分からなくなる」
「意外に細かいんですね」
「悪かったな」
「私、手伝いますよ」
クロードが理科室の中に入ってきた。
「いいよ。文化祭は3日間もあるから、そのうち片付く」
「遠慮しないでください。職員室も人が少なくて面白くないんで、ここに居たいんです」
クロードがフラスコを並べている棚に行き、三角フラスコ丸底フラスコをきれいに並べ出した。
(職員室に人が少ない……)
ぴくりと知己が反応する。
「……きょ……」
卿子が何をしていたか気になって口を開いたが、すぐに閉じた。
(いや、よそう)
ここで卿子目当てに、職員室に戻るのも変だし。一緒に回るのは諦めて、これを期に理科室の片付けをしようと決めた筈だし。
「Ms.坪根なら、来賓のお茶出しに忙しそうでしたよ」
フラスコを片付けつつ背を向けたままのクロードから、気を利かしてくれたのだろう、知己の聞きたい答えが返ってきた。
(あ、バレてた)
と、知己は思った。
「今日は初日だから、お客さん、多いみたいです。職員室のキッチンと校長室を行ったり来たりしてました」
(まあ、初日は毎年そうだよな)
「狙い目は、三日目でしょ?」
「……っ!」
見透かされた発言に、知己が持っていたシャーレを落としそうになった。
「忙しそうですね、卿子さん」
「あら、中位さん。お久しぶり」
クロードの報告通り、卿子はお茶出しに勤しんでいた。
お盆片手に、職員室で先客の使った湯呑みを片付けていた時、将之が卿子を見かけて声をかけた。
「体育祭以来ですね」
話しかける将之に
「本当に。あ、どうぞ、校長室においでになって。今、お茶を入れます」
卿子が誘う。
「いや、今日は後藤が正式な来賓なんです。僕は、付き添い……というか、後藤のお目付け役かな?」
「え? 後藤さんもおいでになってるんですか?」
「ついさっき、校長室に入っていきましたよ」
「やだ。入れ違いになっちゃった」
「かもしれませんね。今日は来賓が多いんでしょ? 卿子さんがお茶出しに往復している間に」
「私、後藤さんにお茶を出してきます」
「すみませんね」
そう言うと、将之は廊下側へのドアに手をかけた。
「あら? 中位さんは?」
新しく二人分の湯呑みを用意していた卿子が手を止めて、尋ねる。
「僕は、後藤が校長先生に挨拶している間に、平野先生の仕事ぶりを見てきますよ。後藤は久しぶりの来校だから、色々伝達事項があるようです。それに時間がかかって、文化祭自体の見学はまだ行けそうにないので」
後藤が久しぶりの来校になったのは、後藤自身に問題があった訳だが。その間の連絡事項が溜まっているらしい。
「平野先生なら、多分、理科室にいると思いますよ。文化祭自体は見終わったと言ってましたから」
「そうですか。ありがとうございます」
「あ」
卿子が何か言いかけて、やめた。
「何ですか?」
卿子の様子に気付いて、将之が続きを促すと
「あの……気のせいかもしれないんですが、平野先生に気をつけて……」
「は?」
思いがけない要注意人物の名に驚くと
「ええっと……私や樋口先生にはないんですが、若い男性っていうのかな? クロード先生限定なんだけど、最近、妙に凶暴なので」
「凶暴?」
「以前はクロード先生が肩を組んだり、腰を抱いたりしてスキンシップしても、まあ外国の人だしそんなものかなって感じだったのに、最近はクロード先生の手を抓ったり叩いたりしているから」
「へえ……」
(あの男、そんなことしていたのか……)
スキンシップという名のセクハラと思っていると
「若い男性の方限定のことなら、中位さんや後藤さんも危険かな……と思って」
卿子が心配して、告げた。
(それは、いい傾向かな……)
将之は思った。
(先輩は性的な対象に見られると、相手に対して粗暴になる傾向があるから)
知己の、自分に対する行動を省みる。
(クロードさんが恋愛対象になって、警戒意識が芽生えたってことか?)
将之は、にぎやかな文化祭を横目に、まっすぐに管理棟から一番遠い理科室へと向かった。
最初のコメントを投稿しよう!