第13話 文化祭・再び

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「クロード」 広い職員室内をぐるっと見渡し、クロードを呼ぶ。 「ああ、知己。ご無事でしたか?」  未だ人が帰ってきていない職員室の一角。ドアを入ってすぐ右の資料室で知己はクロードを見つけた。  職員室を大部屋というなら、その内側に壁で仕切られた小部屋として資料室は設置されていた。 「教育委員会の人、帰ったのですか? 何だかすごく怒っていたようだったから、あなたを一人置いていくのは心配だったんですが……。ちゃんと誤解は解けました?」 (誤解……)  それを聞き、知己の胸はふっと軽くなった。 「な、なんで、あんなことを?」  さっきの行為を思い出して、知己は赤くなりつつ尋ねた。 「知己のおねだりが可愛かったもので、つい」 「お、おねだりなんかしてない!」  慌てて否定する。 「でも、Kiss me,please.と言いましたよ」 「それは……クロードの言った言葉を、何にも考えずにリピートしただけだ!」 「I see.I see.分かってますよ」  平然とクロードは言う。 「でも、目を瞑ってそんなこと言われちゃったら、おねだりみたいに思えて。それでつい、キスしちゃったんですけど……ふ、ふふっ」  しかも、思い出して、堪えきれずに途中から笑い出してさえいる。  その態度に (キスでうろたえる俺がバカみたいじゃないか)  オボコい処女じゃあるまいし、うろたえている方が恥ずかしく思えてくる。 (キスされた場所がいつもと違って唇だったんで、みっともなく狼狽えたけど、外国人にとって大したことないのかな。困ったもんだ)  そう思う傍ら (クロード本人も「誤解」って言っている。やっぱり、あれはいつものスキンシップの延長だったんだ。家永の考えすぎ……だよな)  と思えて、安心もした。 (家に帰ったら将之にきちんと説明しよう。俺もクロードも、そんなつもりなかったんだって)  だが、その前にクロードに言っておかねば。 「あのな、クロード。ここは、カナダとは違うんだ。日本人に簡単にキスしちゃダメだ。しかも唇に。せめて頬や髪どまりにしないと、日本では大変な意味になる」  また、軽い気持ちでこんなことをされては堪らない。 「そうですね。今度から気を付けます」  笑顔絶やさずに言うクロードが、資料室の参考書の最後のページをめくって奥付を見た。 「ああ、これもだ」  と、部屋の隅に放り投げる。  見るとそこは、これまでにクロードが集めたのであろう、本が山となって雑然と積まれていた。 「さっきから……ここで、何をしているんだ?」  改めて知己が聞くと 「あなたが気になって理科室に戻りたかったんですが、たまたまMs.坪根に留守番を頼まれましたので」  来賓の接待が終わり、卿子は約束していた樋口のクラスに出かけたようだ。  職員室を無人にするわけにもいかないので、ちょうど戻ってきたクロードに留守番を頼んだらしい。 「留守番はいいのですが、あんまり暇だったので、知己を見習って資料室の片付けを始めてしまいました。見てください。この古いtextの山!」  先ほどの山をよく見ると、表紙やページの端が黄色く変色した参考書や資料集だらけだった。その山は、知己の腰の高さにまで達する。 「30年以上前のものですよ。『昭和』って書いてありました。Mr.樋口に言って、処分しようかと思います」  資料室にただ放置されているだけの昔の教材だ。教科書も学習内容も変わってきている。おそらく、樋口も異を唱えないだろう。  その大量の本を見て、留守番を頼まれ暇つぶしに整理を始めたクロードの、先ほどのキスを全くと言っていいほど気にしていないことが分かる。 「誤解……。そうだよな……」  ぼそりと知己は呟いた。  心の声が、言葉になって口をついて出た。 「どうかしましたか?」 「いや……。やっぱり、みんなの考えすぎだよなって思って」 「何が?」  勢いよく職員室に駆け込んだ時とは真逆に、知己は気が抜けたように、ぼそぼそと力なく思いを口にした。 「Wow! New record! 最高新記録です!」 「何?」 「Look! 昭和58年!」  クロードから差し出された本を覗き込む。 「あ、本当」  奥付に印刷されている文字を読んで、知己が言う。 「……嘘ですよ」 「え? だって、本当に『出版 昭和58年4月』って書いてるよ」  ふと気付くと、クロードと額が付きそうな距離。 「……!」  知己は驚き、顔を上げた。 「誤解だなんて、嘘です」 「え?」  まっすぐに見つめるクロードの宝石のような青い瞳から、目が離せない。  真剣な眼差しに視線を外せず、それでも後ずさって距離を取ろうとした。  しかし、狭い資料室の中。わずか二歩下がっただけで、知己は職員室との境目、資料室の1つしかないドアにぶつかった。 「痛っ……!」  ぶつかった反動で知己の背で押し、半開きにしていた資料室のドアを完全に閉めてしまった。職員室に隣接しているとはいえ、完全な密室状態になってしまった。  自分で退路を断ってしまい、一瞬、クロードから気が反れ、背後のドアを見やる。 「あ……」  次に視線を戻した時には、クロードに捕まっていた。  まるで蝶か何かをそっと手のひらに包み込むかのような仕草で、知己の顔を捕らえる。 「Because,I love you.」 「……!」  囁くと、クロードは再びキスをしてきた。 (く、クロード……!)  さっきほどの触れるだけのキスと変わって、今度はより深いキス。  クロードは、戸惑う知己の唇に自分の舌をそっと差し入れた。 「ぅ……っ、ふ……ぅぅっ……!」  クロードの背中に腕を回し、引き離そうと試みるができない。そればかりか知己はバランスを崩し、横に積んであった参考書の山に当たり、それは音を立てて崩れた。  後ろはドア。横は本の山。  すっかり逃げ場を失った知己は、クロードからのキスを受けざるをえない。  クロードは巧妙に舌先でくすぐり、知己のそれに絡めてきた。 「んっ……」  クロードの絶妙なキスに、再び知己の思考は奪われる。 「……ぅ」  人形のように受け止めていたが、いつしかそれは変化していた。  クロードの背に回して引き離そうとしていた腕で、クロードの服を掴む。そうしないと、その場に崩れ落ちそうだった。  眩暈がする。  頭がくらくらと痺れる。  完全に、思考が止まっていた。 「キスで腰砕けになるのって実際にあることらしいですよ。口の中に、性感帯がある所為ですって」 「おまえは、また、何の本を読んだんだ?」 「出典は秘密です。それよりも、今からやってみませんか?」 「また今度、暇な時に、な」 (将之……)  止まった思考の中で、映像だけが浮かんでいた。  ゆっくりとクロードが唇を離すと、知己は膝から折れ、その場に倒れそうになった。  慌てて 「! 知己……っ!」  クロードが抱き止める。 「……」  未だ現実に戻れていない知己の、先ほどのキスの余韻で閉じられない唇に触れつつ、クロードが優しく呼びかける。 「知己」 「……ぁ……」 「大丈夫ですか?」 「……!」  やっと思考が戻ってきて 「クロード……!」  恩知らずにも、抱き止めていたクロードを押しのけた。  弾みで体制の悪い知己の方が倒れ、本の山と共に崩れた。 「知己!」  散乱する本と共に床に転がる知己に、クロードが未だ心配そうに声をかけた。 「俺、あのっ……! あ……」  やがて深い後悔が襲ってきて、半ばパニックを起こす知己に 「やり過ぎちゃいましたか? すみません」  クロードは跪き、素直に謝った。 「クロード……、どうして?」  おどおどと先ほどの行為の意味を尋ねる。  職場の仲の良い同僚。  外国から来た、年の近い友人。  そう思うには、あまりにも理解しがたい行動の連続。  クロードから 「そういう疎い所も可愛いんですが」  相変わらず理解不能な言葉が返ってきた。 「本気ですよ。誤解なんかじゃありません。さっきも、今も」 「本気……?」  理解が追いつかない。 「……Because,I love you.」  それを聞いて、知己はまたもや固まった。 「分かりやすく言いましたよ」 「……」  茫然自失の知己に 「あなたがMs.坪根にするより先に、私が告白してしまいましたね」  クロードが無邪気な笑顔を見せた。
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