第13話 文化祭・再び

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 すぐに退校したので、帰りついたのは知己の方が早かった。将之は、まだ仕事らしい。  将之が帰ってくるまでの間、知己は不安な気持ちのまま待っていた。  あの後、有り難いことに卿子がすぐに帰って来た。  一瞬、職員室が無人かと驚いた様子だったが、クロードがすぐに資料室から出ていき、卿子を安心させた。少し遅れて知己も顔を覗かせると 「ああ、平野先生も戻っていたんですね。そういえば、中位さんが探していましたけど、お会いしましたか?」  と卿子が笑顔で話しかけたが、とても笑えなかった。  卿子が帰ってこなかったら……と考えると、怖い。  あんなにあっけなく、しかも将之にキスを見られた後だというのに、またクロードとキスしてしまう自分の無頓着ぶりを呪った。  後はただ、ただ、早く退校時間が来て帰ることだけを考えていた。 (ごめん。将之。ほんっとうにごめん)  聞いてもらえる相手も居ないのに、じっとしてられず、心の中で何度も何度も詫びる。  やがて玄関からドアを開ける音が聞こえた。 「将之っ、お帰り! あの……」  玄関まで出迎える知己を一瞥すると 「着替えてきます」  それだけ言うと、将之は自室に行ってしまった。 (まだ、怒っている……。当たり前か)  静かな将之が、怖い。  ああなった経緯を正しく説明して、将之の怒りを解くしかないと思うが、あんな態度の将之にうまく言えるだろうか。 (だけど、ちゃんと言わなくちゃ)  そんなことを思ってリビングで待っていたら、将之が部屋着になって現れた。 「あの、ごめんっ! あ、あんなことになっちゃって……」 「もう、いいです」 「え? あの?」  何がもういいのやら、分からずに知己は問う。 「結局、あなたは僕との約束なんか守る気がないのでしょう?」  冷たい口調の将之に 「そんなことない。凄く反省している。今日、あんなことになってしまって……それは無自覚な俺が悪かったって……! 家永にも忠告されてたのに……」  慌てて知己が言うが、将之の態度が和らぐことはない。それどころか「家永」の名前を聞いて、ますます眉が釣り上る。 「無自覚?」 「そうだよ。自覚なかった」 「嘘ですね」 「嘘じゃない」 「卿子さんから聞いて知っていますよ。先輩はクロードさんを恋愛対象として意識していたんでしょ?」  家永に忠告されてからと言うもの、数日、確かにクロードの接触を避けるようにしていた。 「そういう人と二人きりで過ごし、あまつさえキスするなんて……」  冷たい視線の将之は 「家永さんで思い出した。先輩、この間、家永さんに会ったでしょ?」  不意に家永の話題になった。 「会ったよ。でも、仕事で。プライベートじゃない」 「それ、月一に換算されます」 「ええ? 仕事だったのに?」 「家永さんに会わなくてもできた仕事でしょ? それだって約束違反だ」 「それは結果としてそうなっただけだ。本当は家永に頼むつもりで、慶秀大に行ったんだし。いい仕事するために人脈あるんなら頼ってもいいだろ?」  他意はないのに家永のことまで持ち出され、不本意に思い、知己は言い返した。 「問題は、相手が家永さんってことです」 「何が悪い?」 「先輩が家永さんを特別に思っている所が悪い」 「はあ? また、それ? いい加減にしろよ。お前のジェラ期には、付き合えない」  クロードのことを責められるのならまだ分かるが、家永のことまで言われるのには納得がいかない。 「僕の嫉妬の所為にするんですか?」 「家永の件は、な」 「クロードさんの件は?」 「……それは俺が悪いと思う」 「……」 「……ごめんって」 「……」  しばらく睨み合い、無言の時間が続いた。  やがて将之がため息と共に、 「……僕ら最近、寄ると触ると、こんなやりとりばかりですね」  と吐き出した。 「そんなの……、お前が俺を信用しないからだろ?」 「できませんよ。当然でしょ?」 「当然じゃない。もっと信用してくれたっていいだろ? お、俺は……」  未だに、本人にそれを言うのは勇気が要った。 「俺が好きなのは、将之だってちゃんと言っているのに……」  小さく、恥ずかしそうに言う知己に、将之は容赦なかった。 「あなたは、僕の居ない所で、他人とキスしている人を信用できますか?」  痛いところを突かれ、知己は恥ずかしくて消えてしまいたくなる。 (よりにもよって、あんな所を将之に見られて……!) 「それは……俺が悪かった……と」  居たたまれなくて、とても将之を見ることができない。  俯いて、絞り出すように謝るが 「僕のことを好きだと言う割に、クロードさんにも言ってましたよね? ご丁寧に、英語で」  将之の方は、依然冷たい態度。 「将之……、どこから聞いていたんだ?」 「二人で英語で愛を語り合って、いちゃついている所。驚きました。先輩があんなこと他人に言うなんて」 (えええええ? 俺、どんなこと言ってたんだ?)  クロードの言葉をただ繰り返していただけだが、一体どんなことを言わされていたのか、英語が得意ではない知己には分からない。 「僕にも言ったことない激甘な言葉。その後のキス。しっかり見せていただきました。なぜ、あんなことができるんですか? 僕のこと、本当に好きなんですか?」  全て事実だが、わざと知己が嫌がる表現で語る将之に 「本当だ。俺は、将之が……」  知己は慌てて言うが 「だから、さっきも言いましたけど信用できないと言っているでしょう」 「将之。ちゃんと話を聞いてくれ」  必死になって知己は食い下がったが 「嫌です。先輩の言いわけなんか聞きたくない」 「言い訳じゃない」 「言い訳ですよ。僕にどう取り繕うんです? 先輩の恋愛対象となったクロードさんと、理科室で二人きり。いちゃつきキスしていた理由なんて、普通、聞きたくない話でしょ」  将之は態度を変えることはなかった。 「僕ら、もう無理ですね」  そう、告げた。  驚き、知己は顔を上げた。 「あなたは僕との約束を守ってくれない。僕の居ないところで、平気で他の男に告白し、キスを強請る。用意周到に、卿子さんの為と言いつつ後藤を来れなくしておいて、僕に話が漏れないようにして……これで、どうやって信用しろと言えるんですか?」  将之は自嘲を浮かべ、淡々と語った。 「先輩を信用して、後藤を東陽に来校来させないように手伝った僕は何なんだ」  人はこんな嫌な笑顔を作れるものだろうか?  黒くて暗い笑顔だった。 「先輩は、僕のやきもちを面白がっているんでしょ?」 「将之……、やめてくれ。本当に、ちゃんと聞いてくれ」 「無理ですね。何を聞いても、信じられない」 「聞け。あれは……!」  危機感があった。  将之に知己の話を聞く気など、全くないのは分かっていた。言ったところで信じてくれる様子もない。だけど、もう強引に言ってしまおう。あれは卿子への告白の練習だったのだと。  そう思っていた時だった。 「僕ら、少し、距離を置きましょう」 「え?」  不意に将之から提案があった。 「距離って……?」  将之の言っている意味が分からず、問うと 「心も体も、当然、物理的な距離もです」  憔悴しきった表情で、将之が答えた。           ー了ー
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