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「……、宙」
自室のカーテンとよく似た色のソファに腰掛けながら、ぼんやりと隣の席を撫でていた宙が、気遣うようなその声に顔を上げる。普段とは違う化粧っ気のない母の唇が、ふわりと柔らかく綻んだ。
「少し、外に出て休憩しよっか」
「(え……、でも)」
「先生は優しかったけど、病院って息が詰まるでしょう。時間があるようなら、お昼も行こう」
「(っ、母さん。ちょっと……)」
半ば無理やり腕を引かれ、受付に声をかけてから自動扉を抜けた母が、うーんっと体を天へ伸ばす。風にそよいだ長い髪を押さえながら振り向いた母の目が、遠いものを見るように細められた。
「大丈夫。ゆっくり、一緒にがんばろ」
──あぁ……本当に、ごめんなさい。
失声の原因に心当たりもなければ、知りもしない母の方がうんと不安であるはずなのに。気丈に振る舞うその様に、宙は本音を言うこともできず、ただ小さく頷いた。
やっぱり、この気持ちは胸の内に留めたままにしておこうと思いながら。
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