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また、夕暮れ色の空気で満たされた教室。
学園祭の片付けも終わり、教室にはおれと、もう一人しか残っていなかった。
市川天音。
容姿端麗、成績優秀。
黒髪セミロングのストレートヘアーが彼女のイメージに似合っている。
人当たりは良いが、人に媚びるような態度を見せることは無く、凛としたその姿に、男子のみならず女子にまで好かれている。
おまけに歌が上手く、ギターが弾ける。
そして、自分で作った曲を、自分で書いた歌詞を、自分で歌える。
完璧を絵に描いたような美少女だ。
そして……。
「デビュー、出来なかったね」
「そうなあ……」
おれは頬をかく。
* * *
『おれは、市川天音に、たった一人の特別な女の子として、恋をしています』
おれが決死の覚悟で告げた言葉に。
「……あははははははっ!」
有賀さんは、なんか知らんけど、爆笑していた。
「有賀さん……?」
「あー、ごめんごめん!」
有賀さんは手を顔の前で合わせると、
「じゃあ、テストの結果発表ね」
と、そう言った。
それから、たーっぷりと有賀さんは某クイズ番組のようにためを作って、
「……もちろん、不合格!」
と、言葉に似つかわしくない無邪気な笑顔で言った。
「だけどね、小沼君」
そして、優しい真顔になって言う。
「あなた自身には、きっと人の心を動かす才能がある。だから、どうしても、あなたたち4人でデビューしたいのなら、正規のルートでのし上がってきなさい」
「正規のルート……?」
「オーディションとか、ライブハウスでのスカウトとか。とにかく、わたしのコネを使わずに、ここまできなさい」
有賀さんは、ふふっと笑って、言う。
「その日を、楽しみに待ってるから」
「有賀さん……!」
市川と最後に軽くハグを交わして、有賀さんは帰っていった。
「なんか、すごい人だったな……」
「……うん、そうだね」
市川が上気させた頬で、うなずく。
ぼーっとその後ろ姿を眺めていると、後ろから少し強めに背中を叩かれた。
振り返ると、吾妻が嬉しそうに微笑んでいる。そして、おれの胸にグータッチをしてきた。
「小沼は、ちゃんと『本当』を見つけたんだね」
「……おう」
「拓人、」
声のする方を見やると。
「今の拓人は、」
満面の笑みで、沙子は言う。
「おっきい花火みたい、だった!」
* * *
「ねえ、小沼くん」
「ん?」
机の角に腰掛けた市川が、しっとりと、おれに呼びかける。
「もう一回、ちゃんと、有賀さんに向かってじゃなくて、私に言ってくれないかな?」
「……何をでしょうか」
「わからないはずないでしょ?」
いや、分からないはずはないけれど。
恥ずかしすぎるし照れすぎる。
だけど、もう。
おれは、引き返さないことにしたから。
「……おれは、市川天音が、好きなんだ」
そう、伝えると。
「……私も、小沼拓人のことが、好きだよ」
と、そう、市川が言った。
「お、おう……」
やっぱり、あの曲は、おれに向けての……。
そんな思考を遮って、市川はもじもじと話を続ける。
「えっと、小沼くん……。気づいてるかもしれないけど、私、実は結構、嫉妬深いんだよね」
「へ?」
突然の話に、おれは、素っ頓狂な声をあげる。
「ずーっと、モヤモヤしてたんだ、なんで私じゃないんだろうって」
「何が……?」
「これが、だよ」
何を言っているんだろう、と市川を見た瞬間。
「ん……」
その顔が近づき、そっと、一瞬だけ。
柔らかい感触が、おれの唇にあてられる。
「いち、かわ……」
すぐに離れたその顔はおれをうるんだ上目遣いで見上げた。
「私、初めて、だから! 小沼くんは、初めてじゃ、ないみたいだけど……?」
その拗ねたような表情に鼓動が高鳴りすぎて、
「初めてではないけど、」
ついつい、おれは思ったことを口走る。
「おれが最後に……それを、するのは、市川と、だと、思います……」
「……市川と?」
意地悪な笑顔で、彼女はおれをのぞきこむ。
「……天音と、です」
すると、小さな声で、はにかんで、つぶやく。
「そんな、プロポーズみたいなこと……」
そこにあるのは、夕陽と同じ色に頬を染めた二人の姿。
そしておれは、こんな状況になってまでも。
こんな状況に合うのは、どんな曲だろうか、とついつい、頭の中でメロディを探している自分に気づく。
あきれて笑った、その瞬間。
「『ねえ、たった一つだけ、生まれてきた理由があるとしたら』」
彼女の方もまた、新しい歌を、自分の声で、歌い始めたのだった。
「『それは、こんな瞬間のことを言うのかもしれないね』」
極上のメロディと極上の歌詞をおれだけのために聞かせてくれた後に。
彼女は、amaneではなく、天音の顔で笑った。
「ね、拓人くん?」
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