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第一章その二 ぶらり旅 マヤ頭をぶつけ、謎の男がグイグイ来る
「いてっ! くそっ!」
マヤは痛む額を押さえて、小さく毒づいた。
ごとん、とまたも汽車が揺れる。鼻まで、ずれた眼鏡をなおすと、ボンヤリした頭で隣を窺った。
マヤが座っているのは二等車の、四人掛けコンパートメント席だった。
今の言葉を聞かれてしまっただろうか?
だが、室内には誰もいなかった。
隣に座っていたはずの老婦人や、年甲斐もなくイチャイチャしていた、中年夫婦も居なくなっている。
一瞬不安にかられるも、彼女からもらったクッキーの欠片が、膝の上にひろげたハンカチの上に散らばっているのに気づき、それを手に取りマヤは息をついた。
この仄かな香り。どうやら、夢からはちゃんと覚めたらしい。
とすると、他のお客は?
マヤはバッグを探り、懐中時計を出す。昔、悪戯をして裏側に彫りつけた小さな三角形を、無意識に指でなぞる。
時刻は夜の七時を少し過ぎていた。
金色のショートカットに肉厚の眼鏡。その下の大きな目をきょろきょろと動かし、マヤは窓の外に目をやった。
街灯どころか民家の明かりも見えない。
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