「貴方は金魚です」

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ただ唯一、あの愛しい人の前だと、本当の私でいられるような気がしたのです。 「疲れてしまうから、自身を偽るのは、もうお止めなさい」 涙をこらえて笑顔でいようとした私に、あの愛しい人は言いました。 あの愛しい人の言葉は声まで覚えているのです。 あの愛しい人の周りにはいつも優しい風が吹いていました。 あの愛しい人は私が無理をしているとすぐに気が付いたのです。 その夜、私は一人「ごきげんよう」の訓練を思い出し、布団の中で泣き続けました。 私はあの愛しい人に出逢ってしまった。 息子以外の誰かを愛することはきっと今まで一度も無かった。「無償の愛」は息子だけだと思っていたのです。 初めて会った時、あの愛しい人は何も話しませんでした。 ベンチに座り、開いた本をつかむ大きな手の甲に私はそっと触れてみました。 すると、優しくにっこりと微笑み返してくれました。 見つめあい、ただお互いに微笑むだけでした。でも、その眼の中には私がいました。 何かに突き動かされるように、自分と同じ匂いを感じ、引力のように愛しい人に惹かれていきました。 言葉がなくても、気持ちで通じ合える、一緒にいなくても何かで感じあえる、 そう身体全体で感じておりました。 お互いに惹かれ合うには時間は必要ありませんでした。 「美しい君へ、今宵も星が綺麗です。この桜の木は永遠に散ることはないでしょう」 あの愛しい人は桃色のリボンのついたしおりにそう書いて渡してくれました。 あの桜の木は枯れていました。だから私たちのように、咲くこともできず、散ることもできないのです。 でも咲くことができないとは一言も書かずにいてくれました。 私はそのしおりを家に置くわけにはいかず、皆が寝静まった後に涙を流しながらリボンごと食してしまいました。
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