0人が本棚に入れています
本棚に追加
どうか、聞いてください。貴方なら他言はしませんから安心です。
なぜなら貴方は金魚だからです。
誰かに聞いてもらわないと、私はもう立っていられないほどなのです。ですが、肉親にも妹にも話せません。
息子はまだ幼く、私の不安を感じ取って泣き出してしまうことでしょう。
私には明日が見えないのです。
貴方の居る水槽の中で、もがけばもがくほど、泡だけが増える感覚です。
眠気に襲われ、溺れそうな感覚、その感覚はわかりますか?
そしていつしか私は何も見えなくなり、記憶もなくなってしまうのです。
今にも視力が全て失われるかもしれないのです……そんな恐怖に襲われること
があるのです。限界という言葉があるのだとしたら、この瞬間なのかもしれません。
六つ先の、いつか訪ねたことのある駅の近くの崖、あそこは今でも戦争未亡人や戦争で子供をなくした老婆がよく落ちていくと言います。
戦争がすべてをおかしくしたのかもしれません。
飛び降りるだけの気力は、私にはもう残っていないかもしれません。
心臓は動き続けます。
優しい旦那様に恵まれ、私を慕うかわいい息子に恵まれ、義母に嫌味を言われながらもいろいろなことを教えてもらう中、「ただ金魚に話しかけるだけの病」だと言われればそれまでです。
愛しいあの人との出逢いは、最初で最期の恋だったのかもしれません。
きっと誰も信じてはくれないでしょう。貴方にも信じてもらえるかどうかも不安です。何処に行っても私は笑顔でした。凛とした妻でもあったと思います。
幼い頃、私は「ごきげんよう」も言えない子供でした。無口で引っ込み思案で、人が怖くて仕方がなかったのです。実母はそんな私をとても心配しました。
私は母に心配をかけるのが嫌な一心で「ごきげんよう」を言う訓練をしました。訓練はたった一人で、毎晩布団の中で涙ながらに行われました。
そしてもう一人の私という架空の私を作り上げることでその言葉が口から出るようになったのです。
俯きながらしか歩くことが出来なかった私が、友人を作ることさえできるようになりました。
ですが、それは私ではない、もう一人の作り上げた理想の私がした行為なのです。教室の窓際で外を眺めていたいのが本当の私の姿だったのです。
でも演じ続けていくうちに、大人になるうちに、本当の私なぞ、もういなくなってしまったと感じました。
最初のコメントを投稿しよう!