止まっていた刻。

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「……御馳走様。千里、戻ろう」  一琉が笑って千里を促した。 「畏まりました……若、お口」  千里はそう言って一琉の口元に付いた小豆を拭い、己の口へと入れてしまった。一瞬、目を見張った晴臣には気付かぬ振りを決め込む。 「ご、御免……」  晴臣の前で子供扱いをされてしまい、面目立たず頬を染め俯いてしまう一琉が更に晴臣の表情を凍りつかせたのだった。  晴臣の部屋を後にした一琉と千里。前を歩く一琉へ続く千里が、ふと吐いた溜め息。 「若、御満足ですか?」  静かに問う声に、口元を僅かに緩める一琉。 「うん……顔を見れたから……」 「若は、慎ましやかを通り越しておりますぞ」  次の声は少し呆れた様な、そんな声。一琉は、苦笑いを浮かべる。 「うん……でも、晴臣が彩殿と一緒になるなら、おめでとうって言うよ」 「若は、其れで良いのですか?」 「うん。私のものに出来るなんて思ってないもん」  辿り着いた部屋の前で、呟いた一琉が立ち止まり、千里を振り返った。美しく、微笑んで。 「私は、誰とも婚姻を結ぶ事が出来ないけど……晴臣と千里は其の自由がある。大切にして欲しいから」  幼い頃から、目立つ事を避けて生きてきた一琉。影に隠れた生き方は、性質迄も支配していた。一琉は、望むものへどう手を伸ばすのかもわからないのだ。ずっと、見ているだけ。そして、千里も又そんな一琉をずっと見てきた。 「若、涙する時は此の胸で。何時でも開けております故」  気取った笑顔で突然そんな事を言い出した千里に、一瞬目を丸くした一琉だが楽しそうに笑う。 「有り難う、千里」  其の笑顔は、やはり何処か儚くて寂しげであった。 
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