星と命と限りあるもの

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 朝起きるという行為を、私は何度繰り返すのだろうか。  私はこれを幸せだと感じているだろうか。  そこに正確な答えがないことは、誰よりも自分が理解しているつもりであった。  カーテンを開けて、朝日を浴びて、それでもなお微睡の中にいるようなぼんやりとしたこの感じは、いつまで経ってもなくならない。  ケトルのスイッチを入れて、トースターでパンを焼きながら、冷蔵庫から取り出した卵で特別味付けもしないスクランブルエッグを作るのだ。急がないとパンが焼けすぎてしまう。別々にするか、もっと要領良くできればいいのだろうけど、単なる面倒くささからの同時進行でそれ以上の工夫もしないから、度々私の朝食は焦げすぎたパンと味付けをしていないスクランブルエッグになるのだ。  味付けにはこだわらないけれど、焦げすぎたパンのざりざりとした食感だけは、慣れることができないのだ。  朝食を終えるとたくさんの薬を、コップ一杯の水で流し込む。これも本当に何度繰り返すことになるのだろうと思った。  私がそれを発症……いや、発現だろうか、この状態を正しく表すことは容易ではないのだが、ここはひとまず発現と表現すれば、発現したのは18歳のときであった。  医者も家族も、もちろん私自身でさえ驚いていた。  10歳も生きられないだろうと宣告されていたのだから。  どうやら私の心臓は爆弾を抱えているようなところがあって、そう長くはないだろうと言われていた。  だから私は夢や希望を持たずに生きていこうとしたのに、どうしてかまだこうして生きているのだ。  ちゃんとした説明を求められるとひどく困るのだが、何となく私はその理由を理解していた。  食事を終えて片付けものをしようとしたとき、変に考え事をしていたせいか、こつんとマグカップに手が当たってしまった。  マグカップは簡単にテーブルから床をめがけて落ちていった。中に入っていたコーヒーを撒き散らしながら。  私はただ、ああ面倒なことになってしまったなと思いながらマグカップに手を伸ばした。  空中で不自然に浮かぶそれは、床の上で割れ散る前に、撒き散らしたコーヒーと共に、空中でじっとしている。  もちろんマグカップや、コーヒーが自主的に空中に留まるなんていうことはありえない。  これが私に発現してしまった力、時を止める”魔法”みたいだと、あのときは純粋に喜んだのだ。
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