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1、兎の話
朝は鶏よりも早く起きなくてはならない。
辺りはまだ暗いが、決して明かりを付けてはならない。アレはとても感が鋭い。あの化物みたいな女を相手にしているのだから、些細な事ですら細心の注意が必要だ。暗いからと言って、明かりを付けるのは馬鹿の所業だ。
暗闇の中、小さな音も立てぬよう身支度をすませる。指を一本、軽くタンスに当てるだけでも、あの凶暴な女は聞き逃すことは無いだろう。これはもう、日々の訓練が必要になる。
部屋のドアは当然の事ながら、廊下もまた日々の点検を怠ってはならない。仮に、シロアリが現れたとする。シロアリの攻撃で満身創痍になった床材は、俺の体重に耐え切れずに悲鳴を上げてしまうだろう。それだけは避けなければならない。ただ、もし俺の眠っている間に、奴が廊下を鴬張りにしていたらそれはもう諦めるしかない。奴なら可能だ。幸い、廊下は正常なままだった。
神経をすり減らしながら、ようやくの思いで玄関へたどり着く。しかし、まだ安心してはならない。遠足は帰るまでが遠足であり、脱出は外に出るまでが脱出だからだ。
玄関のドアを開けると……妹が立っていた。
小学五年生にして既に重厚で禍々しいオーラをまとった妹が、門扉を塞ぐように立ちはだかっている。外灯にうっすらと照らされた顔は、勝ち誇ったように微笑んでいた。
「まだまだ甘いですわね、お兄様」
今日もまた、俺は妹に負けてしまったようだ。
結局今日は、ただ寝不足になっただけだった。
俺は、通う高等学校へ向かう道を急いでいた。とにかく早く席について、そのまま眠ってしまいたかったからだ。
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