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手を引かれて
鬱屈とした梅雨のある日に、僕は彼女と出会った。青空の欠片もない曇天を見上げることもなく、極めて日常的に、半自動的に電車に乗り込む数分前。ぽつりぽつりと立つ人影の間で、イヤホンから流れ込むノイズに耳を閉じていた僕。空虚な目でどこか遠くを見ていたその時、慣れない感触に手を引かれた。振り払う思考が動く前に、聞き覚えのない声が思考に割り込む。
駅のホームで、僕は先頭に立っていた。嫌になるほど変わらない景色は、もう見る気にもなれない。惰性で、ただ惰性で、日常を消化していく感触は好きではないけど、もう慣れ切っていた。僕は、そういう人間だった。今日も、何も変わらないで順調に、ゴミクズみたいな道を進む、ハズだった。
「落ちるつもり?」
突拍子もないその言葉に、息を呑む。無駄に明朗な声の所為か、周囲の視線が集まるのを感じた。人違い、の一言が口から出る前に、強く手を引っ張られた体がよろける。バランスを取ろうと踏みしめた足は間に合わず、ふらついた体はそのまま後ろに倒れ込んだ。
『墜ちる』
程遠いはずだった、そんな事象。だけど言葉になってぶつけられたその瞬間、妙な重々しさを孕んだそれに、僕は動揺していた。
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