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 黒く長い髪、ネイビーの襟の広いピーコート、その下にはこの学校の制服、ついさっき坂本が送り出した三年五組の生徒だった。  坂本は篠宮が教室に来ることを知っていた。そのため、特別驚くこともなく教壇に立ったまま顔をわずかに彼女のほうに向けるだけだった。 「先生」  篠宮がそう言うと、坂本は苦笑した。 「その呼ばれ方には、違和感があるな」 「どうしてですか?」  そう尋ねると、篠宮は扉を静かに閉めた。  そして教壇の前の机へとゆっくり近づき、コートのまま椅子に座った。  坂本が沈黙していると、篠宮は薄く、そしてどこか坂本には冷たさを感じさせて、笑みを浮かべた。  相変わらず綺麗な顔をして笑うな、と坂本は思った。  十代特有なのかもしれないが、篠宮はその整った外見とは別に、内から溢れる揺るぎない自信のようなものがあった。それが冷たさを感じさせるのだろう。  そして、その自信が彼女をここまで落ち着かせているのだろう。既に大人のような雰囲気が漂っている。自分が十代のときは大違いだ、と坂本は思う。  ある男子生徒が言っていた。「篠宮は綺麗だけど、ちょっと怖い」と。それはそのとおりだと坂本は思う。十代の雄に彼女を扱うなんてことはできないだろう。そして大人になった自分にもできない。 「卒業式、終わっちゃいましたね」  篠宮の言葉に、坂本は頷く。 「そうだな」 「もうホッとしているってところですか?」 「そんなことはないよ。まだ進路が決まっていない生徒もいるしね」 「ああ、飛鳥は後期試験に賭けるって言ってましたよ。小論文練習しまくるって」 「まさか伊藤が国立失敗するとは思わなかったけどな」  まだ進路の決まっていない生徒の話をしながら、坂本は息苦しさを感じていた。暖房の効いていない冷えた教室だというのに、うっすらと額に汗も感じていた。 「先生」 「ん?」 「何だか、落ち着かなそうですね?」  既に篠宮は見抜いていたはずだが、それを言葉にした。 「…そうだな」 「あれ?あっさり認めるんですね」 「今更…、篠宮の前で強がっても仕方ないだろう?」  坂本がそう言うと、篠宮は少し声を出して笑った。 「ね、先生」  篠宮は、両肘を机に乗せて、頬杖をついて、まっすぐに坂本を見上げた。薄暗い教室で彼女の僅かに茶色を帯びた瞳は坂本を吸い込むかのように思えた。
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