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クシナダの姫……それは神――即ち自然と人との間を取り持つ巫女の中でも、特に〝須佐之男命〟という暴風雨の神との直接交流ができる類稀なる存在である。
暴風雨はその大量の雨で大地を潤し、植物を育て、人間には農作物の実りを与えてくれる……だが、その一方で強すぎる風雨は人家を薙ぎ倒し、河川を氾濫させ、海原に大波を起こして甚大な被害を人々に与えもする……。
ゆえにその神意を聞き、その荒れ狂う魂を和ぎ鎮めるクシナダの姫が必要なのだと、珠は幼い頃より教えられて育った。
しかし、神が――自然がそのような二面性を持っているのと同様に、クシナダの姫の力もまた諸刃の剣……一歩間違えれば自然の均衡は崩れ、この世には災いが訪れる。
だから、滅多にその力を使ってはいけないというのがクシナダの姫が守るべき掟でもあった。自然とは、けして人が安易にどうこうしてはならないものなのだ。
……それなのに、今、自分は私利私欲に走った者達の手によって悪用されようとしている……こんなことになるくらいなら、いっそクシナダの姫などという存在は遠い昔に絶えてなくなってしまえばよかったのに……そう、珠は思った。
しかし、彼女は紛れもなく、今の代のクシナダの姫なのである。
ブォオオオォ…。
ボロン…。
石笛と琴の合奏が、彼女の心の奥深くにある扉を開こうとしている。
「……そ…それ…でも……わ……わたくし…は……」
珠はなんとか力を振り絞り、自分の意識を保とうと試みる。
だが、珠は本来が巫女……こうした調を聞けば、自然と神憑りになるようにしてずっと暮らしてきたのである。
この状況で神憑らない方がむしろ不自然。神憑りになることこそが、彼女の自然な反応なのだ。
「……あの……お子…さま……なら………」
薄れゆく意識の中、無意識に珠は雷童丸の姿を脳裏に思い浮かべていた……。
まだぜんぜん大人びていないし、少々頼りなくもあるのだが、どこか自分と似た運命を感じさせるあの呪士ならば、もう一度、自分のことを助けてくれるのではないかと。
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