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木彫りの熊と菊の花
放課後下駄箱を開けると、可愛らしくラッピングされた透明の袋のなかに木彫りの熊の形をしたチョコレートが花を銜えて堂々と鎮座していた。俺の思考はフリーズ。なんだこれは。考えたのちに2月14日だったと思い出す。自己主張の強すぎるそれに初めてチョコレートを貰ったという喜びよりも戸惑いのほうが大きい。手を伸ばして熊を手に取ると咥えていた花が落ちた。包装のなかだから床に落ちることは無く包装内に落ちただけだけれど、この花は、菊だ。真っ赤な菊。知っての通り菊は葬儀の時に使われている日本の花。つまりこれはバレンタインチョコレートじゃない!包みから熊を出す。チョコレートだったら力を加えれば折れるはずだが、ビクともしない。ひっくり返すと「2019.2.」と彫刻刀で荒々しく製造された年月日が記されていた。これ、マジもんの木彫りの熊だ!何で木彫りの熊!?菊を送られる意味も分からない。熊ばかりに気を取られていたが、中には手紙も入っていた。真っ白で無地の封筒にハートのシールが貼ってあり、可愛らしい丸文字で「紺野君へ」と書かれている。さらに俺の頭が混乱した。この小さく可愛らしい丸文字はきっと女子のものだ。なのに木彫りの熊と菊の花。なにこれ。なにかミステリーでも始まるの。疑問符を浮かべたままシールを剥がし、中に入っていた一枚の便箋を開く。
「貴様に伝えたいことがある。体育館の裏で待つ」
どゆこと!?文字のせいで脳内では女の子の可愛い声で再生されるのに、書いてあることは物騒だ。しかも時間も書いていない。待ち合わせする時には日時をしっかりと表示しないと。居ないかもしれないと思いつつ、体育館裏へと足を進めることにした。こんな不可思議なことをする女の子がどういう子なのか一目会ってみたいという気持ちも強い。まあ菊の花を送られている時点でいいことではないような気もする。歩きながら「今日は貴様の墓場記念日だ!」とガドリング砲を構えたニヒル笑いの女の子が浮かんで仕方がなかった。なんだ墓場記念日って。下らないことに思考を飛ばしつつやって来た体育館裏。やっぱり女の子は居なかった。代わりに階段に座って大いびきをかいている同級生の熊田がいた。名前の通りの巨体で、腕も足も剛毛。顔は凶悪でグリズリーと呼ばれている。女の子が居ないのは少し残念だったが、そんな珍妙な子会わなくて正解だったような。ひとりこの件について消化しようと考えていた俺の前でぴくりと瞼を震わせて熊田が目を開けた。寝起きは更に凶悪だ。
「こんなところで寝ていたら風邪ひくぞ」
俺の声に熊田はぱちぱちと瞬きを繰り返した。
「お。おぉ!」
雄叫びをあげる熊田。どした。
「来てくれたのか!紺野」
今度は俺が瞬きを繰り返した。
「ん?手紙を見て来てくれたんじゃないのか?」
もうひとつ俺は瞬きをして、視線を木彫りの熊に移し、熊田を見て、ようやく線が繋がった。
「これ、熊。お前!?」
木彫りの熊は名刺だったのか!?確かにヒグマもグリズリーも同じようなものだ。では今日が2月14日というのはまるで関係がなく、木彫りの熊がチョコレートに見えるのも関係が無いということか。残された情報は菊の花。俺はいつ熊田に怨みを買ったのだろう。
「わかった。一発で終わらせろ、顔でも腹でもワンパンでノックアウトされる自信が俺にはある!」
熊田がグリズリーだとすれば、俺はフェネック。フェネックは耳が大きいキツネで食物連鎖の下位に位置する牙もない臆病者だ。
「わんぱん?」
あんぱん?そんな発音だったぞ今。
「……俺を殺しに来たんじゃないのか?」
「殺す!?何でそんな物騒なことしなくちゃならんのだ」
「菊の花ってそういう事じゃないの?」
包装のなかに入った菊の花を眼前に見せると、熊田は顔を真っ赤にさせた。怒ったのか!?でもそうでは無いらしい巨体をもじもじさせている。
「あ。赤い菊の花言葉を知っているか!?」
知らない。正直に首を振るう。
「し、調べてみてくれ、それに対する返事を待つ」
面倒臭いな。自分で言ってくれればいいのに。しかも花言葉だなんて女子でもこっぱずかしいわ。正直もうどうでもいいなと思いつつ、スマホに打ち込む、赤い菊 花言葉。
「あなたを愛しています」
………、開いた口が塞がらない。じゃあなんだ、2月14日のイベント、想いを伝える日というのは沿っていたわけだ。なのに、チョコレートではなく木彫りに熊の菊の花。脅迫文めいた丸文字の手紙。出てきたのは男。告白。何だか色々斜めすぎて状況を把握しきれない。しかもこれは巷で噂のボーイズラブな展開のわけだけれど、相手は巨体のグリズリーで、自分は細目の耳がでかいフェネック。見た目的にはジャイアンとスネ夫みたいなものだ。女子の需要ゼロ。
「俺と付き合ってほしい」
熊田はどうやら本気らしい。
「なんでチョコレートじゃなくて木彫りの熊なの?」
「菓子を作るのは苦手だが彫刻は得意だからだ」
なるほど?
「返事は直ぐにとは言わない。だが俺が好きだってことは知ってて欲しい」
ふむ。一考する。熊田は見た目こそグリズリーだが、中身は童謡の森のくまさんであることは誰でも知っている。誤解されやすいが優しいひとだ。まあいいか。
「いいよ」
「いきなり男に告白されてとまど……え?」
あっさりと返事した俺に熊田はぽかんと間抜けに口を開けている。
「付き合おうか」
「本気で言ってるのか?恋人になって欲しいって俺は言っているんだぞ」
「まあいいんじゃない?飯でも食いに行く?」
言いながら俺は木彫りの熊をカバンにしまうが、でかくて顔が出てしまう。菊の花は如何しようか、別段花が好きなわけでもないけど、貰った手前ぞんざいに扱うのも気がひける。花を見つめてくるりと回す、熊田の手が伸びて菊の花を奪ったかと思えば、それを俺の耳にかけた。これはイアリングでもないし、俺はお嬢さんでもない。頭に菊が刺さってるのもどうかと思う。赤いからマシだけど、菊は葬式に使われる花だかんね。苦笑しつつ熊田を見上げるとこの世の幸福をひとつに集めたような、幸せいっぱいの笑顔で俺を見ていた。
「似合わんな。でも、かわいい」
ぶわああと顔に熱が集まった。かわいいなんて言われて喜んでいるんじゃない、俺は男だしそんなの嬉しくない。そうじゃなくて、そういう目で俺を見つめてくることが恥ずかしくて。なんだこれ、なんだこれっ、熊田とは特別仲良くないけど、普通にいいやつだって思っていた程度だったのに。
「ばっ。バカなこと言ってないで飯食うならさっさと行こうぜ」
俺は耳から菊を外して、カバンの中に押し込んだ。熊田は少しぼんやりして俺を見て微笑んだ。
「肉でも食いに行くか」
「賛成!」
俺は諸手を挙げて喜んだが、学生の俺らが行けるところはジャンクフード店だ。いつか女の子と付き合えたら楽しいだろうな。なんて漠然と思っていたけど、まさかバレンタインに木彫りの熊を貰って、男と付き合うようになるとは思わなかった。でも俺は今結構楽しい。
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