一章

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 一方で名の知れた企業にまつわる不祥事は、報道されることで社会経済に少なからず影響が出る。その企業に関わる人々の生活が一変してしまう可能性だって大いにある。そのことを想像するには、当時の僕はまだ幼かった。  世間ではわかりやすいものほど共感されやすい。幾らかの連想を必要とする社会的な危機よりも、何の罪もない人が命を落とすといった悲劇のほうが大衆の同情を誘うのだ。もっとも実生活に関わるという意味合いからすれば、前者に注視するほうがより報道の価値を理解しているといえるかもしれないが。  良くも悪くも当時の僕はまだ小学生で、実害を被るかもしれないという観点を持ち合わせているはずもなかった。ただ、人が死んでしまったという事実に人並みの悲しみを抱いただけの話。  けれど、そういう風に感じることができたのは僕がごく一般的な家庭で育ったからだったのかもしれない。テレビの音声に交じって台所から聞こえてくる、小気味良い包丁の音がその象徴だった。夕飯を待つ間の、満たされた時間がそこにはあった。  もし再びあの時間に戻れるとしたらどうだろう。僕はまた同じように報道番組を見て、人命が失われたという事実に胸を痛められるのか。  ――人を人たらしめているのは、想像ができること。  朧げな記憶の中で、その言葉だけが色褪せない。
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