〈第十六章〉待ち伏せその9

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〈第十六章〉待ち伏せその9

ひろこが車を降りて歩き出すと、 王子が訝しげな顔でこちらを見ているのが分かった。 アンパンと牛乳を持つ手が少し震えたが ゆっくりと歩を進めた。 「ひろこさん!」 彼が叫んで、ひろこのほうへ走り出した。 力強く抱きしめられ、名前を呼ばれる。 言いたい事は山ほどあったはずなのに、 彼の顔を見て、抱きしめられたら もうどうでも良くなっていた。 「ひろこさん。」 もう一度彼が言う。 「本当にひろこさんだよね?幻じゃないよね?」 私の家の前で、私を待っているのに 今目の前にいるのが私かどうか疑うなんて、 いよいよこの人はやばいかもしれないと、 ひろこは思っていた。 「こんな顔、二人といないよ。妹にだって似てないのに。」 ひろこは言った。 小さい頃から可愛かった妹と比べられてきた。 人が比べなくなっても、 いつしか自分の中で比べるようになっていた。 『私なんて可愛くない』 40年間ずっとそう思って生きてきた。 王子はそんなひろこの思いを見透かすようにじっと見つめた。 彼女の顔が赤くなると 「可愛い、ひろこさん。」 と言って笑う。 本当に愛しいものを見る目つきで見られて、 ひろこの顔はさらに赤くなった。 恥ずかしくて仕方ないけれど、幸せだと思った。 「お腹、空いたんでしょっ!」 わざとぶっきらぼうに言って、 コンビニの袋を彼に渡した。 中身の牛乳とアンパンを見て、彼は苦笑した。 「刑事かよ。トオルなりの笑いの表現なんだろうな。」 二人でなんだかんだ言ってると、 王子のお腹からギュルルルルルと聞こえてきた。 『この人のお腹も、鳴るのね。』 当たり前の事に感心しながら、 アンパンの袋を破って中身を彼に手渡した。 「腹ペコで、殉職しちゃうね。」 恥ずかしそうに笑う王子にアンパンを食べさせながら、 ひろこはとても幸せな気持ちになっていた。
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