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この日は一日中天気が良かった。
前髪を上げてむき出しになった額に、汗がじっとりと滲む。ファンデが崩れちゃうなと思いながら、手の甲で乱暴に拭った。
「あっつ。ねー、授業さぼってカフェ行かない?」
ねっとりとした声が耳にまとわりついてくる。隣の席に座っている同じ学科の子。彼女は露出した足を投げ出して座っており、剥げてきた手のネイルをしきりに気にしていた。
「んー、やめとく。単位やばいし」
「咲良なら余裕じゃん? がり勉だもん」
小首を傾げて笑う彼女に、私は「うぜー」と笑い返した。割と本気。こういう子たちの相手をするのは嫌いだった。中身のない会話を延々と繰り返すだけで、よく飽きずにいられるものだ。
「もー咲良付き合い悪! あ、サキ一緒に行こーよ。カナコも」 彼女はすぐさま別の子たちに声をかけ、了承をもらうと楽しそうに席を立った。私は密かに胸を撫で下ろす。彼女がいなくなるなら、いつもより授業に集中できるだろう。
あっという間に私はお役御免だ。彼女みたいに『友達』が多い子は、私の代わりなんてたくさんいるのだろう。スマホで連絡先を交換すれば、みんな彼女の『友達』だ。
「あ、そうだ咲良!」
教室から出て行ったと思われた彼女が、小走りでこちらに戻ってくる。引きつりそうになる表情を愛想笑いでコーティングした。
「なに?」
彼女はぐっとこちらに顔を寄せた。甘ったるい香水の匂いに吐き気がする。
「代返、よろしくね」
無邪気な内緒話のように囁くと、今度こそ彼女は走り去った。数人の甲高い声が教室を出て遠ざかっていく。あんなに能天気になれたら最早幸せなのだろうと、ぼんやりと思った。
世の中は面倒なことで溢れている。人付き合いも、授業も、メイクも、おしゃれも。何もかも面倒。でもそれを全て受け入れるのが当然だと私は思っている。面倒が一切無い、綺麗で美しい世界なんて存在するはずがないのだから。
その時教室のドアが開く音がした。教授が足音高く入室してくる。いよいよ授業が始まるようだ。
私は体中から絞り出すようなため息をついた。額に浮かんだ汗をもう一度拭う。暑い。授業を抜け出したあの子たちのことが、今になって少しだけ羨ましくなった。
「……好きなだけ、カフェの新作でも楽しんで来ればいいよ」
恨みがましく呟いた声は、教授の点呼とセミの声にかき消される。
私は自分の名前が呼ばれたときだけ返事をした。
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