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「はぁー…さむさむ」
冷たい風が吹き荒ぶ放課後、部活を休み帰路に着いていた。吐息で手を温めつつ早歩きで予約していた店へ向かう。
「いらっしゃいませー」
帰りにあるケーキ屋で控えめなホールケーキを受け取れば、後は崩さぬよう気を付けて歩き出す。
今日は母の誕生日だ。小さい頃、離婚したばかりの頃には色々思った所もあったが、それでも女手一つで育てて貰った事にはとても感謝している。
「ふふっ」
突然誕生日ケーキをプレゼントされて驚くであろう母の顔を想像すれば、自然と笑みが零れてしまった。
本当はバイトでもして自分で稼いだ方が格好がつくのだろうが、今回はお小遣いを貯めて買う事になった。お小遣いと言っても、隣の部屋に住んでいる母の友人の手伝いの礼として受け取ったものなのでまぁ良いだろう。
その人は作家をしているらしく、アイデアに困ってはよくうちに転がり込んできて、家事や仕事に追われる母の代わりに小さい俺の相手をしてくれていた。俺からすれば年の離れた姉の様な感覚だ。
今回も事情を話せば快く手伝いを任せてくれて─と言っても殆どが散らかった部屋の掃除なのだが─そのお陰でなんとかホールを注文出来たのだから、
いくら感謝しても足りない位だ。
思い出を振り返りながら歩いていれば、もうマンションにまで着いてしまっていた。果たして喜んで貰えるのかなどと、今更少しの不安に駆られつつエレベーターの冷えたボタンを押す。ゆったりと登るうちに、急いていた心も少し落ち着いた。ここを降りれば、もうすぐそこだ。
「ふぅー…」
深呼吸して改めて、気持ちを落ち着かせる。そうして鍵を開けようとすると…
「あれ?」
鍵は、掛かっていなかった。
不用心だなと思ったが、何かあったかもしれないと思い駆け足でリビングに向かうと、そこに母は居た。
「母さん!ただい、ま…」
友人の首に腕を回し抱き合っている母の姿が、そこにはあった。頭が、全身が重なり表情も何をしているのかも分からない…いや、分かろうとしたくなかったのかもしれない。
だが、此方に気付き頭が離れた時にした微かな水音で分かってしまった。
気まずそうな顔で此方を見ている母だが、顔が離れた一瞬見えたあの時の顔、見たことも無いけど多分、あの顔を、‘女の顔 ’と言うのだろう。
そんな事を思って俺は、落ちたケーキが崩れていなければいいななどと、下らない考えに思考を逃がしたのだった。
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