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「――あれ、倉田さん? 倉田のぞみさん、じゃない?」
仕事中、思いがけず名前を呼ばれた。顔を上げると、へらへらと笑った顔が私を見ている。
「あ、やっぱり。俺、第二中学校で一緒だった武田。違うクラスだったし、覚えてないかな」
第二中学校。
私の中で避けていた言葉が飛び込んできた。
「転勤でこっちに来たんだけど、まさか倉田さんと一緒の会社だったなんてな。世間って狭いね」
「でも武田さん、よく覚えてるね。もしかして甘酸っぱい思い出でもあるんじゃない?」
隣の席の同僚が冷やかすような声を上げる。
やめて。
「そんなんじゃないって。倉田さんって、有名人だったからさ」
「へー、そうなの? なんか意外」
そう言いながら向けられた視線には「こんな地味な人が?」という言葉が含まれていた。
武田と名乗った男は話を続ける。
やめて。
やめて。
「倉田さん、すげーんだよ。いじめられてる奴を助けるために、カッター持っていじめグループのとこに乗り込んでいったんだ。そのおかげでいじめはなくなるし、学園生活は平和になったってわけ」
「え、ヤバーい! マジで?」
同僚の大きな声が、周りの注目を集める。武田はなぜだか得意気な顔をして、わずかに声を高くした。
「いじめられてた奴――鈴木っていうんだけど、不登校寸前だったのに、ちゃんと学校通えるようになったし。確かけっこういい大学に行ったんじゃなかったかな。あいつも倉田さんには頭が上がらないよな」
「やめて」
思わず零れた声に、周囲の空気がぴたりと止まった。みんなの私を見る目が、今までと変わったことに気付く。
私はまた「倉田のぞみ」になってしまう。
「あー……なんかごめんね。でもさ、倉田さんのおかげで助かった奴がいるんだよ。俺、ホントすげーと思って」
武田の言葉は、聞き慣れた名前も知らないクラシック音楽のように私の耳を素通りしていく。世界がぐらぐらと揺れている。そんな気がした。
「ごめんなさい」
口の中でそう呟くと、私は席を立った。
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