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「来たな。黒幕」
いつの間にか立ち上がっていた航太が、凛一の隣に並ぶ。
「海野。お前はどっちなのか、ずっとわからなかったぞ」
「え? それって褒めてるの?」
「どうだろうな」
凛一を置き去りに、航太と花屋は二人だけに通じる会話をしている。
「バグ? 先生、バグってなんの事ですか? いや、それより、航太、黒幕って」
花屋は屋上から落ちて死んだと、森田から聞いた山森は言っていた。
しかし目の前の花屋に怪我はない。
花屋は混乱する凛一に気付き、顔を曇らせた。
「最上。お前だけイレギュラーだよ。全く迷惑な話だ」
「イレギュラー?」
「できれば詳しくデータをとりたかったが、今夜中に決着をつけろと上からいわれてるんでね。お前も海野と一緒に死んでもらう。おい、そろそろ出てくるんだ」
凛一は耳を疑う。
いくら鈍い凛一にもわかっていた。
今日のこの異常な状況に、花屋が深く関わっていると。
だから願った。
花屋が呼びかけた人物が、自分の知るあの人でなければいいと。
しかしその願いは儚く砕ける。
花屋の後ろから姿を現したのは、凛一よりも先に階段を駆け上っていったはずの可絵だった。
「藤木さん……」
可絵はなにも答えない。
それでもまっすぐに凛一を見つめる可絵の顔は、とても綺麗だった。
「ほどね。危険だ危険だって言いながら、校舎を一人で探索できるわけだ。りんいっちゃん、一本取られたね」
ふざけた口調の航太だったが、目は笑っていない。
その様子を見ていた花屋が、クロスボウを構えたまま鼻で笑う。
「藤木は直接関係ないんだ。海野、そう責めないでやってくれ」
可絵を庇うような発言をする花屋に、航太は肩をすくめた。
「責めるもなにも。ふざけんなって思ってるよ。人の頭の中を勝手にいじられてさ」
「頭の中をいじられた?」
全く意味がわからない凛一を見て、花屋は考えるような顔をした後、うんうんと頷く。
「これも貴重なデータになるかもしれないな。よし、いいだろう。最上。説明してやる」
花屋は航太にクロスボウを向けたまま、凛一に左手の人差し指を立てる。
「最上、現代社会における子供の死亡原因って何が一番多いと思う?」
唐突な質問に、凛一は面食らった。
今までの話や状況と関係性を感じられなかったからだ。
「えっと……がん、とかですか?」
「違う。全く違うんだよ」
花屋は自分の後ろに立つ可絵の右手首を掴むと、赤い腕時計を乱暴に引きちぎる。
「自殺、なんだよ」
そういって見せた可絵の右手首には、真横に切られた跡があった。
可絵は花屋の手を払いのける。
「そこでだ。国立教育政策研究所生徒指導教育センターの一部で、自殺そのものを抑制することができないかという声があがり、極秘にだが研究が行われることになった」
「自殺の抑制……それが僕達になんの関係があるんですか?」
「関係? もちろんある。お前達も利用したことがあるだろう?
全国のスクールカウンセラーの手を借り、青少年の心理変化や行動力、高ストレス環境における暴力性衝動の起因、また精神的な抑圧による自己破壊現象の急性期を把握することによって、ある研究チームの手により画期的なプログラムがつくられたんだからな」
極度の緊張のせいかカラカラに乾いた口がべたつく。
唾液の分泌も望めそうになく、凛一は喉を掻き毟りたい衝動を必死に抑えた。
花屋はそんな凛一の状態を横目に見ながら、口元に笑みを浮かべる。
「それが『自死抑制プログラム』」
「自死抑制プログラム?」
航太が聞き返すと、花屋は満足そうに頷いた。
「そう。私はその研究チームに入っていてね。この研究が認められれば、国内の子供の自死率ゼロも夢じゃないんだ」
「すごいじゃないっすか」
馬鹿にしたような口調の航太を花屋は睨みつけるが、なにも言わない。
いうだけ無駄だと判断したらしい。
「私はこの研究の臨床結果を早く知りたかった。どんな研究もまずは動物で試すだろう? でもマウスだとなかなかいい結果がでなくてね。校舎内でたまたま見かけた犬を使う事にしたんだ」
犬、という言葉に可絵の頬がぴくっと反応した。
それに気づかず、花屋は続ける。
「このプログラムというのはね、まず種をつくる必要がある」
「種?」
凛一が聞き返すと、花屋は満足そうに頷いた。
「そう。種。それの出来で全てが変わる」
花屋は自分の額より少し上の辺りを指で差す。
「種はここ。脳の前頭葉部をいじる。まあ、わかりやすくいうと、ここをいじる事で、死というものへの関心を無くすことが可能なんだ」
「死への関心をなくすから、自殺という行為に価値を見出せなくなる、みたいな感じっすか?」
「ほぉ、海野。お前は少しはわかるらしいな」
花屋の饒舌は止まらない。
凛一の目にはいまだ、可絵の手首の傷が痛々しく焼き付いていた。
あの傷はいつ頃のものなのか。
クラスで可絵がいじめを受けてるという事はない。
「この種が集団の中に入ると、種に埋め込まれたプログラムが発動する。それは人から人を通じて広がっていくんだよ。辛い事があっても、死を喜びとは感じない。死を最後の手段と思わない。それで君達を守るんだ」
花屋の抑揚のある上機嫌な声が、死の匂いに満ちた屋上に響き渡る。
自分の中に怒りを実体化できたなら、花屋を焼き尽くす炎にしたい。
何故笑えるのか。
「……それがなんの関係があるんですか?」
叫んで問い詰めたい気持ちを抑える。
なんで目の前で人が次々に死んでいくのを見て、そんなプログラムの話を楽しそうに話せるのか、全く理解できなかった。
「自殺をやめさせたかったんでしょう? なのに何故自殺したり……殺し合ったりするような事になるんですか? 僕は全然わからない。全く笑えないっ!」
それまでずっと震えていた凛一が顔を上げ、花屋を睨みつける。
溢れんほどの怒りを、視線に込めて。
そんな凛一の態度に激高するかと思われた花屋は、何度も何度も頷いた。
なにかを肯定するように。
「そうだろう? わからないだろう? だから大人が導いてあげなきゃいけないんだ。それが教育者としての責務だからな。だから私はお前達を救いに来たんだ」
そういうと花屋は凛一が落としたネイルガンを拾い上げる。
そしてクロスボウを航太に、ネイルガンを凛一に向け、にっと厭らしい笑みを浮かべた。
「今回は使う気はなかったんだよ。本当に。馬鹿犬の脳を種としたプログラムは、大きなバグを生み出したんだ。死ぬことに美点を持つ自死者と、殺す事に価値を見出す他死者に。最上、海野、お前達も見ただろう? 三苫先生がなにをしたか、本井先生が、向井校長がどうなったか」
凛一はよく覚えている。
全て自分の目の前で起こった悲劇だった。
先の三人を自死者と呼ぶのなら、他死者とは?
近藤を殺した真壁も、鈴秋を殺したという静奈も、花屋のいうプログラムのせいでおかしくなったというのか?
凛一の中で、昏い感情が沸き上がる。
それはとても深く重いタールのようなもの。
自慢気に話す花屋の顔を、ぐちゃぐちゃに刻んでやりたいとまで思ってから、はっとした。
これがまさに他死者の思考なのではないかと。
「先生ーー 質問いいっすか?」
そんな凛一の心中に気付かないからか、航太は相変わらず飄々とした態度のままだった。
先程山森を刺殺したとは思えない程に。
いつもと変わらない航太の姿と、山森に馬乗りになっていた航太の表情を思い出した凛一は、吐き気を感じて慌てて口元を押さえた。
「……なんだ」
自己満足の世界に浸っていた花屋は、不快そうに眉を寄せる。
「その自死者と他死者に分かれたのって、どうしてなんっすか?」
「簡単だ。自殺願望があった者は自死者となり、そうでないものは他死者となった。海野、お前は人を殺したいという欲求があるだろう? それが他死者という事だ。その証拠にお前は躊躇なく山森を手にかけた。全く、とんでもない事をしてくれたもんだよ。
なぁ? 藤木」
花屋は可絵を見て、にやにやと下卑た笑いを浮かべる
「藤木さんは……なんの関係があるんですか?」
凛一が尋ねると、花屋は可絵にむかって顎でくいっと合図する。
自分で話せというように。
「私が……カフを見つけたのは備品置き場だった。誰かが虐待し、閉じ込めたんだと思ったの。すぐに家に連れて帰ろうと思った。でも、二年前にわたしの実の父親と離婚した母は先月再婚したばかりで、なかなか言えなくて」
凛一は可絵の複雑な家庭環境を聞き、心臓がドクン、と脈打った。
手首の傷の原因が、そこにあるような気がしたから。
「この子を見て、守らなくちゃって、そう思った。人間に傷つけられて、それでも人間に愛情を示すこの子を……大切にしたいと思った」
可絵の抑揚のない声が、耳に残る。
感情をむき出しにしない可絵の悲しみが伝わり、凛一の胸は締め付けられた。
「だから逃がしたんだろう? そのせいで、不完全なプログラムの種が撒かれたんだ。お前が勝手に犬を解放した結果、何人人間が死んだと思う」
花屋は可絵の方を振り向くと、そのまま右足の膝辺りを蹴りつける。
「っ!」
呻き声を上げ、顔から倒れ込む可絵。
「藤木さんっ!」
駆け寄ろうとした凛一は、花屋にネイルガンを向けられたまま。
しかし凛一は止まらなかった。
可絵の側に移動すると、体を支えるため、肩に手を回す。
「大丈夫?」
「ごめんなさい。最上君」
「お前もお人よしだな、最上。その女のせいでどんな目に合ったと思っている? プログラムが発動した人間は脳の情報を書き換える為に、一時的に意識を消失する。その間にお前達が逃げられないようにしたのは、誰でもない、私と藤木なんだよ」
目を見開いた凛一に、可絵は顔を背ける。
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