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「犬を逃がしたのが誰かは調べがついていた。備品置き場に出入りしているのを見ていたからな。だから藤木に持ち掛けたんだ。あの犬を虐待した疑いのある生徒を残しているから、校内に閉じ込めようと」
「……藤木さんを騙して協力させたんですか?」
花屋は頭を縦に振った。
「結果的にだな。プログラムの話をしても理解できないだろう? それに、中学時代に自傷行為に及んだ藤木にこそ、必要な実験だと思わないか?」
凛一は何も言えない。
航太はじっと花屋を見ている。
床に座り込んでいた可絵は自分の手首の傷を見た後、静かに口を開いた。
「これは……仕事で家庭を顧みない父親と、自分磨きに忙しい母親が離婚するのを引き止めようとしてやった事。でも、この傷が消えないように、一度壊れた家庭は戻らなかった。私のやった事は、なんの意味もなかったの」
可絵の独白が凛一の胸に響く。
生きる事に絶望して自殺を選んだ人もいるだろう。
可絵のように、死ぬ気はないのにそうせざ得なかった人もいるのかもしれない。
人の心は単純に理解できるほど簡素なものではないのだと、凛一は感じた。
「死はなにも与えてはくれない。だけど、生きていれば変化がある。形を変え、姿を変え、欲しかったなにかになる。それは全部、この傷を負ったからこそ学べた事」
可絵は凛一の手を借り、立ち上がる。
凛一に向けられたネイルガンの前に移動すると、花屋の目をまっすぐに見つめた。
「自殺をやめさせようとするのはいい事だと思います。でも、人の脳を感情をプログラミングして行うのは間違ってます」
「なにを言ってるんだ? 今回の件は失敗だったからな。お前がそう感じるのも仕方ない。でも、成功すれば自死者も他死者なんてものもない、ただ、自殺という行為に興味を無くすだけなんだぞ」
可絵に否定された花屋は僅かに動揺していた。
そこに航太が畳みかける。
「先生はそれが本当に成功するとおもってるんっすか?」
「……どういう意味だ」
「人が人の感情や思考を操るって、それって神の領域っしょ? そんな簡単なもんじゃないと思うんすけどね」
「わかったように言うな! この殺人者が!」
花屋は可絵に向けていたネイルガンを、航太に向けなおす。
クロスボウとネイルガン、ふたつに狙われる形となった航太は、苦笑した。
「どっちがって感じっすね。殺る気満々じゃないっすか」
「うるさいっ!」
声を荒げる花屋を見て、凛一は気付いた。
姿を現した花屋に感じた違和感の正体に。
「花屋……先生」
「お前もなんだ! 最上っ」
「楽しかったんですか? 自分のプログラムでみんながおかしくなったことが」
花屋は目を見張る。
大きめの目が、ぎょろぎょろと忙しなく動いた。
「なにを言って……」
否定しようとしていたが、動揺しているのはあからさまだった。
「自死者だ、他死者だって……まるでゲームみたいな名前をつけて。ずっと見ていたんでしょう? 本井先生や、近藤先生の遺体を隠したのは花屋先生ですか?」
花屋はなにも言わない。
それこそが肯定だった。
「混乱させようとしたんですよね? 研究データをとるためですか?」
「質問ばかりだな。おもしろくない。お前の存在は本当、イレギュラーだよ」
そういうと花屋は左手に構えていたネイルガンを凛一に向け、撃った。
金属の擦れるような音が響き、凛一の左太ももに十数本の釘が刺さる。
「あぁっ!!」
声を上げて倒れる凛一を見た航太が、凛一の側に駆け寄ろうとしたところを、花屋がボルトを放って制した。
ボルトはコンクリートの床に刺さり、航太は悔しそうに下唇を噛む。
「ああ、そうだよ。まさかそんな働きを見せると思わなかったからな。死にたくなったり、殺したくなったりするなんて、ははっ、何事もやってみないとわからないもんだな」
「くっそむかつくマッドサイエンティストが!!」
苛立たし気に叫んだ航太に嘲る様な視線を向けた花屋は、にっこりと微笑んだ。
「私は教育者、だよ。海野」
そういって再び花屋が航太にネイルガンを向けた時だった。
凛一は花屋に飛び掛かる。
タックルをするように掴みかかり、その勢いのまま、床に体を押さえつけた。
「最上っ!?」
ネイルガンを太ももに撃ち込まれた凛一が、行動を起こすとは思っていなかったのだろう。
花屋が動揺しているのを航太は見逃さなった。
「りんいっちゃん! かっこいい!!」
そういうと、航太は花屋の下顎辺りを蹴り飛ばす。
口から血と、数個の白いかけらを吐き出した花屋の頭をそのまま膝で押さえつけ、手からネイルガンとクロスボウを弾き飛ばした。
「山!」
航太が声をかけると、倒れていた山森が起き上がる。
「花屋ぁぁぁあぁっ!!」
山森は近くに落ちていたペーパーナイフを手に取り、航太に押さえつけられている花屋の右手の平にナイフを突き刺した。
「ぐあぁぁあああっ!」
花屋の絶叫。
顔中を血や涙、鼻水や涎でぐちゃぐちゃにした花屋が、ナイフを抜こうと体をよじるが、左手を山森が踏みつけて動きを止める。
「お前は絶対許さねぇからな!」
「ナイスタイミングだったぜ、山」
航太と山森は目を見合わせて頷く。
「山森? どうして……」
呆然とする凛一の前にいたのは、航太に殺されたはずの山森だった。
体中血だらけの山森は、罰が悪そうな顔でうつ向く。
「視聴覚室では……悪かったな、最上」
「漫画だと、最後の一人になった時点で黒幕が現れると思ったんだよね。だから山森と協力したんだよ。騙してごめんね、りんいっちゃん」
そういって微笑んだ航太の笑顔は、幼稚園の頃と同じものだった。
「嘘だ……私はずっと、ずっと見ていたのに。お前と山森は……他死者だと……だから殺し合うと思ってたのになんで……」
山森は花屋の左手をぎりぎりと踏みつける。
花屋の醜いうめき声に、凛一は思わず顔を背けた。
「自死者だ他死者だ、どうでもいいんだよ。お前は樹里を殺した。それで全部なんだよっ!」
山森は左手を踏む足に力を込める。
花屋の悲鳴が響、凛一は眉を寄せた。
更に山森がナイフの刺さった右手を踏むため、左手から足を離した瞬間、花屋は頭を踏む航太を払いのけ、自分の右手のナイフを抜き取る。
そのまま体制を崩した山森の喉を、真横に切り裂いた。
山森の首から勢いよく血が噴き出し、花屋の顔を赤く染める。
喉を押さえたまま、床に崩れる山森。
続けて花屋は、航太を目掛けて襲い掛かった。
山森の血が目に入ったらしい花屋の狙いははずれ、航太の目寸前を掠める。
航太が殺される。
そう思った凛一の体は勝手に動いていた。
支えていた可絵の体から手を離し、離れた場所に転がったネイルガンを手に取る。
そして、航太に向かい、ナイフを振り上げた花屋に狙いを向けた。
気付いた花屋が、ぎろっと凛一を睨みつける。
「最上ぃ。お前は……お前だけはプログラムの反応が見られなかった。どっちでもないイレギュラーな存在。つまり平凡って事だ。そんなお前にそれが撃てるのか? あ?」
そういうと、花屋は笑い声を上げた。
ネイルガンを構えて震える凛一を、あざ笑うように。
そして床に倒れた航太に襲い掛かる。
「イレギュラーじゃない。僕は先生にとっての他死者だ」
激しいモーター音と共に聞こえた、釘が肉に刺さる音。
凛一が撃った無数の釘が、花屋の体に突き刺さっていく。
「よくも貴様ぁぁぁっ! あぁぁぁぁぁあっーーーー」
花屋の断末魔。
釘のストックが無くなり、航太が凛一の肩に手をかける。
そこでやっと、凛一は、ネイルガンのトリガーから指を離すことができた。
花屋の体がぐらりと後ろに傾く。
放った釘は花屋の首の部分に集中していた。
その為、傾くと共に胴体から首が転げ落ちる。
静寂の中、凛一の絶叫が響いた。
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