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「りんいっちゃん! もう大丈夫だから!」
叫び続ける凛一の両肩に手を回した航太が、凛一を抱きしめる。
何度も「大丈夫だから」と繰り返しているうちに、凛一は正気を取り戻した。
そして恨めしそうに自分を見つめる、花屋の頭と目が合う。
「ごめん。もう……大丈夫だから」
そういって凛一はふらつく足取りで、花屋の頭の近くに座り込む。
航太が危ないと思った。
だから花屋を殺すしかないと思った。
でも、その罪の重さに潰されそうだった。
左目からとめどない涙を、右目から涙混じりの血を流し、コンクリートの床に頭をこすり付ける。
「ごめんなさい。先生。ごめんなさい……」
そんな凛一を見ていた航太は、歩くのもやっとな体で凛一の側に移動すると、凛一の背中に自分の背中を合わせた。
「りんいっちゃん。俺、りんいっちゃんのお陰で生きてるからね」
凛一は航太が気遣っている事に気付き、頷く。
可絵は少し離れたところで二人のやりとりを見ていたが、山森の側に移動すると、プリーツスカートのポケットから、水色のハンカチを取り出した。
凛一にとって、見覚えのあるデザイン。
「……藤木さん、そのハンカチ、東堂にも?」
考えるより先に口が開いた。
可絵は山森の顔にハンカチをかけた後、こくんと頷く。
「カフといるとハンカチを汚す事が多いから、いつも多く持ち歩いてるの」
可絵は山森から離れ、フェンスの近くに場所を移した。
鈴秋の遺体はもうない。
「最上君、海野君。ごめんなさい」
そう言って可絵は頭を下げる。
月明かりに可絵の白い肌が映え、不謹慎な状況だというのに凛一はとても綺麗だと思った。
「藤木ってさ、結局なんなの? 花屋の仲間なの?」
航太の直球の質問。
その声は、凛一も聞いた事がないくらい冷たい。
可絵は一瞬悲しそうな顔をしたが、すぐに首を横に振った。
「私がカフを逃がして捜してた時に、花屋先生と会ったの。花屋先生はカフは変種の狂犬病にかかっていて、保健所が引き取りにくるまで一時的に備品置き場に保護してたんだと言ってた」
「なにそれ。そんな事藤木は信じたわけ?」
「いいえ。最初は信じてなかった。でも、三苫先生や向井校長が……次々とおかしくなって、本当なんだと思ったの」
凛一は三苫の狂気を思い出す。
昔、日本でも流行ったことのある病気だというのに、狂犬病の正しい知識を持つものは少ない。
凛一も水を怖がる、程度しか知らないので、可絵が信じたのも無理がないような気がした。
しかし航太は納得できないようで、ずっと口を歪めている。
「花屋先生は、保健所からの指示で、既に感染した可能性がある生徒達を鎮静剤で眠らせたから、迎えに来るまで外に出さないようにしないといけないと言ってた。これ以上被害が広がらないように協力してほしいと。だから先生と一緒に鍵の部分に針金を巻いたりした。その時は近藤先生も一緒だった」
凛一は真壁に殺された近藤の事を思いだす。
誰もいないはずの職員室で、気を失っていたといった近藤。
その時は違和感を感じたが、花屋の仲間だったとは思えなかった。
「近藤先生は知ってたの? 本当の事」
「いいえ。近藤先生も花屋先生に嘘をつかれていたと思う」
凛一がほっとする間もなく、可絵は続ける。
「本井先生も保健室の前で亡くなって、近藤先生は警察に話をしたらいいんじゃないかって言ってた。それを花屋先生は、事が大きくなると私の責任が問われることになる、だから内々に処理する必要があるって説得してたの」
可絵はこみ上げる感情を抑える為、一度深呼吸をした。
「そんな時、花屋先生が、森田君に屋上で加賀見さんに田中君が殺されたって話を聞いて様子を見に行ったんだけど、実は森田君が田中君を殺して逃げてるんだって言われて」
「はぁ? なんだよそれ。そっち信じたの?」
「航太! 最後まで聞こうよ」
「……森田君に、狂犬病の凶暴性が出てると花屋先生は言ってた。花屋先生は自分が死んだことになって、油断して森田君を隔離するから、だからわたしに校内にいるみんなを集めるように言われたの」
「死んだことにって、屋上から落ちたふりの事?」
航太の問いかけに、可絵はこくっと頷く。
「でも、いろんな事があって、近藤先生は真壁君に殺されてしまった。私は早くカフを見つけないといけないんじゃないかって思ったの。だから」
「一人で行動することにしたの?」
「そうよ。最上君。でもそれが間違いだったと、今はわかってる」
可絵は山森をちらっと見た後、目を閉じた。
「カフを捜してる時に東堂君と会ったの」
「東堂と?」
「ええ。トイレから姿を消した東堂君は、教室のロッカーの中に隠れて震えていた。傷の手当てをしていると、東堂君は話してくれたの。
視聴覚室前で山森君と、原田さんに会ったけど、何故か二人を殺さないといけないような気がして、襲ってしまったと言ってたわ。このままじゃ田中君を殺した加賀見さんのようになってしまうって」
凛一は息を飲む。
話には聞いていた。
それでも静奈を信じたいと思っていた。
しかし可絵の話が真実だと、凛一にもわかる。
ズキッとした胸の痛みがして、凛一は思わず胸元に手をあてた。
「東堂君も真壁君も、加賀見さんが田中君を殺すのを見て、それで加賀見さんの事が怖いんだと言っていた。一緒にいたら殺されるんじゃないか、そう思ったと。
だから東堂君は姿を消した。でも東堂君自身も誰かを見ると、殺したいと思うようになってしまった。だからロッカーにいたんだって……泣いてた」
可絵は、右手で自分の首元に触れる。
「泣きながら、東堂君は私の首を絞めた」
凛一は目を見張る。
航太は可絵から目を逸らし、小さく舌打ちした。
「その時、花屋先生が再び現れたの。先生は東堂君の首をネクタイで絞めながら、本当の事を話し始めたわ。
みんなの亡骸は最初の頃、データをとるために、先生がどこかに運んだと言ってた。でも、途中から先生自身がみんなに手をかける事を楽しむようになった気がする。
あちこちに死体が増えていく度、自分がなにをしてしまったのか思い知って、とても怖かった」
可絵が泣いているのかと、凛一は思った。
可絵の側に近寄り、頬に手を伸ばす。
「その手は加賀見さんに?」
頬に触れる直前、可絵に聞かれた凛一は、慌てて手を引っ込めた。
それで察したのだろう。
可絵は凛一に頭を下げる。
「加賀見さんが危険だと知っていたのに、二人きりにしてごめんなさい」
「そ、そんな……僕は、加賀見さんを信じていたし、それに加賀見さんは僕になにもしなかったし」
慌てる凛一の後ろにいつの間にか移動した航太が、可絵の後ろにあるフェンスを足蹴にした。
ガシャンという派手な音に、可絵は弾かれたように顔を上げた。
「もうさ、完結にしてくんない? だから何がいいたいわけ?」
後頭部を掻きむしる航太を見て、凛一ははっとする。
航太の苛立ちが増している事に。
「航太、そんな急かさなくても」
「人がたくさん死んだ。何人も、何人も、何人も。自殺したくなるとか、人を殺したくなるとか……全部花屋がやったことで、藤木は巻き込まれただけだろ?
もういい加減終わろうぜ」
「海野君……」
可絵が航太を見上げる。
可絵の横顔を見ながら、凛一は気付いた。
可絵は航太に惹かれている。
そして、航太の態度から察するに、航太自身も。
凛一は胸の奥にズキッとした痛みを感じた。
同時に額の辺りにも。
(なんなんだろうな。この頭痛)
凛一は額を押さえながらフェンス越しに外を見た。
遠くの方から、学校に向かってくる赤いランプに気付く。
「航太! 藤木さん! 警察だ! 警察が来たんだよっ」
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