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突然集められた全校生徒。
口止めされていたにも関わらず三苫の件はすでに噂されており、ゴシップ記事に群がる主婦のようなひそひそ話があちこちでされている。
いさめようとする教員たちも皆困惑した顔をしており、この集会が職員相違のものではない事が窺えた。
騒音レベルの騒ぎに凜一がうんざりしていると、突然、体育館にマイクのスイッチが入る音がしてキーーンという音割れが響いた。
皆、一斉に声を発するのを止め、音の方に注目する。
スピーカーが取り付けられたステージ上を。
壇上に上がったのは黄島高校校長、向井。
ロマンスグレーの頭髪をきれいに後ろに流し、チャコールグレーのスーツに白いパリッとしたシャツ、青いネクタイといった服装をしている。
温和な人柄の向井校長は、生徒たちからおじいちゃんというあだ名で呼ばれても笑顔で微笑んでくれるような人物で、生徒たちからも慕われていた。
向井校長は講演台のマイクの前に立ち、皺だらけの顔をくしゃっと崩して微笑む。
『おはようございます。皆さん、突然集まっていただいて申し訳ありません。
どうしても私の口からお話しておきたいことがあり、今回の場を設けさせていただきました』
生徒一人一人の顔を見回しながら語り掛けるように言った。
凜一の後ろにいた航太が、
「ね、りんいっちゃん。これってさ、昨日の話すんのかな」
と、凜一の左耳に顔を寄せ、ぼそぼそと小さな声で尋ねる。
凜一は眉を寄せ、首を横に振った。
「僕にもわかんないよ。多分……そうだと思うけど」
生徒達の中で小さなざわめきが起こる。
鉄筋が剥き出しになった高い天井。
柱のない白い壁。
木製の床に張られた赤や緑、黄色のテープ。
見慣れた体育館のはずが不穏な空気のせいか、いつもと違う雰囲気を醸し出していた。
違和感の正体を探りながら、凛一は校長の話に耳を傾ける。
『昨日、家政科担当の三苫先生に不幸な出来事がありました。
とても心苦しい、不幸なことが』
体育館のステージを正面に見て左側に並んでいた教師達が、一斉に慌てふためく。
近くにいた数人は壇上に駆け寄っていた。
脇で聞いていたのであろう教頭の清水も、演台の向井校長の元へ青い顔をしたまま近づく。
「こ、校長! その話はまだ生徒達にはしないと」
教頭は薄くなった頭髪を何度も掻き、動揺を隠せずにいた。
しかしそんな教頭とは対照的に、校長はにこやかに微笑む。
凜一だけではなく、この場にいる誰もが校長の様子がいつもと全く違うことに気づき始めていた。
喧噪の中、それは突如訪れる。
『え?』
演台のマイクが、教頭の間が抜けた声をひろった。
面白おかしくはやし立てていた生徒達も口をつぐみ、その視線は演台の向井校長に注がれる。
それを合図にしたかのように、笑顔の校長は右手を掲げた。
透明な液体に満ちたアルコールランプを見せびらかすように。
『こ、校長っ……なにを……』
『三苫先生は本当に不幸でした。志半ばで妨害にあい、醜態を晒すとは……無念だったことでしょう。だから私が三苫先生に代わって、皆さんの前で今度こそ大成させたい。
教育者としての誇りをかけて』
まくし立てるように言った校長はアルコールランプのねじ込み蓋を外し、自分の頭の上に持ち上げる。
そして、ガラス製の容器を一気に傾けた。
灰色の髪の毛がぐっしょりと濡れ、スーツの肩部分は大きなシミをつくる。
唖然とする教頭に容器を手渡し、にっこりと微笑んだ。
『皆さんも生命の本懐を……ましょう』
マイクの音割れが邪魔をするかのように言葉を遮る。
(生命の本懐?)
凜一は届かなかった言葉に疑問を抱く。
そして、全校生徒、全職員が見つめる中、校長は胸元からライターを取り出し……火をつけた。
メタノールで濡れた自分の頭に。
一気に燃え上がる校長の頭部。
薄青の炎が笑顔の校長の顔を黒く、赤く焼いていく。
目に見えにくい炎の色のせいかなにが起きているのか理解できず、生徒達は皆、ただその様子を呆然と見ていた。
しかし、
「う……うああぁあぁぁぁっ!!!」
教頭の絶叫に、生徒達の鎖は解き放たれる。
「な……なんなんだよ……これ……」
蜘蛛の子を散らすように生徒達が体育館の出口へと殺到する中、凜一は呆然と呟いた。
逃げ出したいのに足は動かない。
それどころか、金縛りにあったかのように指一本動かせなかった。
皮膚が縮み裂け、肉が露出していく校長の一部始終を目にした教頭は、その場で意識を失い倒れる。
校長は痛みを感じていないのか、自身を侵食していく炎を愛おしむように見た後、まっすぐに前を向いた。
恐怖に竦む凜一と校長の目が重なる。
そして凜一は気付いた。
その瞳が闇に蝕まれた月のように暗いことに。
瞬間。
頭にズキッとした鋭い痛みが走った。
思わず跪くほどの激痛。
「りんいっちゃん!」
近くで凜一のことを気にかけていた航太が、慌てて駆け寄る。
漂ってくる臭気に鼻を抑え、顔を歪めた。
「出よう! いける?」
「こ……航太」
航太に右手をとられ、なんとか顔を上げた凜一は倒れた校長の姿に気付いた。
航太は凜一の視線を辿り、首を横に振る。
「早く……でよう」
校長が火をつけて数分後。
体育館から逃げ出したと思われていた教員達は、かき集めた消火器を手に戻ってきた。
しかしその時には誰が見ても校長に息はなく……近づいてくる救急車のサイレンの音が秋空に鳴り響いた。
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