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うれしいことや、かなしいこと。
素敵な出会いと、苦しい別離。
忘れることの出来ない想い出をいくつも作って、数え切れないほどたくさんの出来事を忘れてしまった。
それはとてもありふれた、面白味に欠けた生だったのかもしれないが、概ね満ち足りた気持ちの中で、私は死んだ。
享年74歳。風邪を拗らせたのが原因だった。
後悔も未練もない。と言えば嘘になる。
少し前に植えた水仙の球根が、花を咲かせるのを見られなかったことなんて、本当に残念極まりない。(この球根は園芸が好きな私への、孫からのプレゼントだった。)
とはいえ、過ぎたるは及ばざるが如し。私は私の身の丈にあった人生を、私なりに生ききったのだと、そう思える程度にはいい人生だった。
死ぬのは初めてだったし、一度しか体験していないけれど、温かい海にゆっくりと沈んでいくような、思ったよりずっと優しい諦念だった。
あれからどのくらい時間が経ったかは分からない。
私が死んだあと、家族はどうしているだろう? と気になったこともあった。
けれども知る由はない。なにせここに在るのはどこまでも純粋な暗闇だけなのだから。
自分の体がどうなっているのかも分からないが、生前はガタが来て、しくしくと痛んだ膝や腰の痛みを感じないのはありがたいことだ。
ひょっとしたら母の胎内に居た頃はこんな風だったのかもしれない。
問題があるとすれば、私はいつまでこんな場所に居なければならないのか? ということだ。
生前はそれなりに信心深かったものだが、この果てのない暗闇が天国なのか、地獄なのか、はたまた別の何かであるのか、私には分からない。
分からない事をずっと考え続けられるだけの時間はいくらでもあったが、そうするだけの興味も、早々に失せた。
時々は生きていた頃の事を考えてみたりもしたが、それも段々と億劫になってしまった。
そうして今となっては、思い出せる事の方が少なくなった。
長いことこの暗闇のなかで過ごして分かったのは、執着は生者だけの特権だったのだということだ。
孫の名前が分からない事に気付いたときは、少し寂しかった。
別段何の感慨も湧かなかったからだ。
そうやってひとつひとつ、丁寧に全てを、この暗闇に融かしていく。
もはや自分の名前を思い出すことすら出来ない。
ここには、何も、無い。
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