甘い罠とはこの事か

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甘い罠とはこの事か

角を曲がり校門へと続く短い坂道に入ると、少し先に見慣れた二人のクラスメイトの後ろ姿を発見した。 いかにうちが校則ぐずぐずの自由奔放極まる特異な男子校とは言え、革ジャンアフロ野郎と、ヤンキーでも無いくせにピアスだらけで金髪の高校二年生二人組なんてコンビは、少なくとも俺が知る限りこいつらしかいない。 「おーっす、安田、井之川」 「おー、上村じゃん、久し振りだな」 「何?バレンタインだからって無理して来たん?」 声をかけると振り返り、俺に気付いて二人が軽く手を挙げた。 「普通に風邪治ったから来ただけだっての」 「またまたぁ、かわいい後輩君たちからモテモテだろ?」 「だからこそ本当は今日も休みたかったよ」 いつもの無駄話をしながら校舎のエントランスに入ったが、そこで違和感を覚えた。 「あれ、休んでたうちに下駄箱が黒くなってんじゃん」 「いや、昨日まで普通だったぜ?」 「まぁよくあることじゃねぇか、気にすんな」 「いや、よくは無いだろ……」 俺のツッコミは無視して、およそ通学時に履く類では無いような黒革のロングブーツを脱ごうと、安田は下駄箱に片手をついた。 校則のユルさにも程があるよな、などと思っていると、 「うわっ、何これ!?ペンキ乾いてねぇじゃん!?」 安田の手にはべったりと黒いペンキが着いていた。 「うそ、マジ!?でもペンキにしちゃニオイとか無いけど……って、これチョコじゃん!!マジかよ、ラッキー!!」 安田の手のニオイを嗅いぐやいなや、何のためらいも無く井之川は下駄箱に指をこすりつけ、付着した黒いペースト状の液体を舐めてチョコだと確認すると、今度は自分の下駄箱のフタを折ってばりばりと食べ始めた。 「いきなり食うのかよ!上履きとか入ってて汚くて臭いのに!?」 「そんなことより誰がこんな暇で甘いことをしたのかが問題だろう」 「そこは真面目だな!」 「あ、ってか……上履きもチョコだこれ!!……うわぁ……ドロドロで履き心地超悪ぃ……」 「生チョコか……考えたな……」 「何をだよ、意味わかんねぇよ」 「すごいな、なんだ?なんでだ?何が起きてんだ?」 井之川が興奮冷めやらぬと言った様子でクラス全員の下駄箱のフタや上履きを一口ずつかじって味の違いを確かめながら尋ねるが、俺に聞かれてもわかるはずが無い。 だが、唯一の心当たりとして、 「うーん、もしかしてだが……今日がバレンタインだからなんじゃ……」 と可能性を述べてみたが、 「あぁ!?マジ!?廊下のタイルもこれ全部チョコじゃね!?奇跡!!」 いつの間にかブーツを脱ぎ終え校内へ走り込んでいた安田が、ブーツのかかとで叩き割った床のタイルを頬張っていた。 「だから汚ぇって!なんでお前らは何のためらいも無くすぐ食っちゃうんだよ!!ってか聞いてた!?」 「あぁ、うん、バレンタインだろ?やっぱ男子校だから何か女神的な組織が男子校憐れみの令とか出したのかもしんねぇな!」 「何そのいかがわしい組織……」 「マジかよ!!女神かよ!!ありがてぇな!!エロいな!!」 「ヤベェよな!しかもこの感じだと学校全体がチョコだぜこれ!教室とかどうなってんだろうな!早く行こうぜ!!」 「ぬぅっ、なら俺は体育館だ!!」 そこら中にある物を気が触れたかのように片っ端からかじって回っていた二人が、突然それぞれに駆け出す。 「ちょ!あんまり別行動取らないでくれよ!それぞれ別で書くのめんどくさいから!!」 「大丈夫だって!とりあえず教室行ってろよ!そっちの描写が終わるまでには合流してざっくりとしたまとめだけ伝えるから!」 「便利だな!って……行っちまった……。まぁ……とりあえず教室行くか……。なんかべたべたして気持ち悪いなぁ……」 生チョコの上履きを履くのはあきらめ、靴下も脱いで素足で廊下を進みながら周囲を見回すと、あの二人と同様に異常なハイテンションで辺りにあるものをむさぼり食らう生徒たちの姿や、どこかの教室からか響いてくる多数の狂喜乱舞的な奇声が耳に届く。 「男子校って時々こういう空気に包まれる時あるよな……。でもいくらなんでも今日のこれは異常だろ……。あ、体育の鯉沼だ。教師ならこの状況について何かわかるよな、たぶん」 近くの教室から出てきた教師に気付いて歩み寄るが、やはり違和感がある。 「相変わらず無駄に上半身ハダカなのはしょうがないとしても……二月だってのにずいぶん日焼けして……いや……まさか……」 「おぅ、おはよう!メリーバレンタイン!!」 こちらに気付き過剰に爽やかなスマイルで声を張り片手を挙げるが、 「やっぱり全身チョコまみれ!!」 しかし鯉沼は俺のツッコミに嬉しそうに微笑むと、 「ふ……いいんだぞ」 と立てた親指で、チョコまみれの己のマッスルボディを示す。 「……いや、食わねぇよ」 「そうか……宮元はこの辺ちょっと舐めてくれたぞ」 親指が左腕の脇の下を指した。 「きったねぇな、あいつ!!頭おかしいんじゃねぇのか!?」 「ははは、お前ももっと大人になれ!推薦欲しいんだろう?」 「直球のパワハラ!!」 「はははは!地獄の沙汰もハラ次第ってことだなぁ!!」 「無法地帯か!!」 これ以上相手をしていても何もどうにもなりそうに無かったので、高笑う変態は捨て置いて俺は駆け出し、とにかく教室へ向かった。 「階段も手すりも全部チョコ……片付けとかどうすんだよ、楽しいのなんか最初だけだろ、こんなもん……」 まさかこの掃除は生徒がやるとか言わないだろうな、などと懸念しながら三階へと駆け上り、やがて教室に着いたが、 「うわぁー!思った以上の大惨事!!」 机も椅子も教科書も教材も、壁も天井も照明も窓もカーテンも、何もかもがチョコにすり替えられている中、俺より先に登校していた十数人の男子どもが、雪遊びでノリノリになる小学生をも凌ぐハイテンションでそれらを食い散らかし、汚れを気にするのが面倒になったのか全裸の者まで複数発生していて、お互いにチョコをなすり合い馬鹿笑いで大はしゃぎしていた。 「おぅ、上村!!遅かったな、お前も食えよ!!超面白ぇな!!しかもマジで美味ぇぞ!!」 縦笛をばりばりとむさぼりながら安田が近付いてきて、半分ほどになった縦笛を咥えると「んっ!」と反対側を俺に咥えるように示してきた。 「アホか!気持ち悪い!!」 「んーんんんっんっ(そう言うなって)!」 そのまま全身べとべとのチョコまみれの馬鹿アフロは俺に抱きついてきた。 「あぁー!?制服完全に死んだ!!ってかやめろって、コラッ!」 「んんんーんんんー(ええやんええやんー)」 「ウザい!!」 服が汚れるのはもはややむを得ないとあきらめて、倒れかかってくる安田を思うさま投げ飛ばすと、安田はロッカーへと叩き付けられた。が、例によってチョコでできたロッカーはもろく崩れ落ちクッション代わりとなって、安田は特に怪我をした様子も無く、おかげで俺も無益な傷害の罪を負うことを免れた。 「見事な袖釣込腰……上村……腕を上げたな……ぐふっ」 倒れながらも全身に降り積もったロッカーチョコをほおばりながら、安田は満足気に息絶えた。 ため息をつきながら教室に入ろうとしたが、そこへ遠くから猛然と駆け寄ってくるぺたぺたという足音が響き始め、 「あはははぁー見ぃ付けたぁー!!超絶モンゴリアン・ロマネスコンティ・フレキシブル……えぇと、どーん!!」 突然の背後からの体当たりを喰らい、俺もロッカーチョコのガレキの中へ突っ込んだ。 「ってぇー!!っんだよ!?井之川か!?いきなり後ろからとかマジやめろっての!!技の名前も雑だし……って……なんか酒臭ぇ!?」 「いやぁー、バレーボールが全部ウィスキーボンボンでさぁ、あははうへへ」 痛む背中に手をやりながら立ち上がって振り返ると、全身をチョコとウィスキーでぐちゃぐちゃに汚し、そんな漫画みたいなベタベタの酔っ払いがいるのかというような酩酊状態の井之川が、ふらつきながらこちらへ近付いてくる姿があった。 「全部!?全部食ったのか!?一個で充分酒なのはわかったはずだろうが!!高校生が泥酔してんじゃねぇよ!!」 「堅いこと言うなよ上村ぁ、大丈夫だよぉ、みんなやってることなんだからさぁ。ネットでメチャクチャ人のこと叩いておきながら、本当はみんな自分もやってんの!高校生も全員酒とか飲んでんの!授業中にこそこそ体の一部を伸ばしてみたり出してみたりとかしてんの!」 「最後のはほぼ全員やってねぇ!!お前と一緒にすんな!!」 「いいじゃないかぁー男子校なんだしぃー」 「脱ぐな!!」 「もういや……アタシ本当はこんなんじゃなかった……返して!!キレイだったあの頃のアタシを返してよ!!」 全裸の井之川は突然床に突っ伏して泣き崩れ始めた。 「いや……お前にキレイだった頃なんか無いだろ……。……まぁいいか、こいつはもう駄目だ。このまま放っておくとして、とにかく俺の机は……良かった、食われてない……いや、良かったのか?無事であってもしょせん結局チョコじゃん……」 井之川は捨て置き、窓際の自分の席へと辿り着きツッコミながらも恐る恐るチョコの椅子に座ってみるが、意外にも頑丈で力強く俺の体重を支えた。 そこでいつもの習慣でなんとなく机の中に手を入れると、何やら触れ慣れない小箱のようなものが手に当たった。 「なんだこれ……って、すげぇ普通のシンプルなバレンタインっぽいチョコ……。こんなもんまで用意してあんの?」 机から出てきた、薄緑色のラッピングに金のリボンが巻かれた手のひらサイズの小箱を眺める。 「ラッピングはチョコじゃないんだな、ここまで全部チョコにすり替わってたのに、これはちょっと手抜かりだな……どうでもいいけど。まぁとりあえず開けてみるか」 リボンをほどきラッピングを破り捨てると、中からはこの非常識な状況を完全に無視したようなひどく普通でシンプルな、どこの店でも売ってそうなどこにでもよくある小石チョコが現れた。 「逆に謎……。まぁ下駄箱とか食うよりかは遥かにまともか……」 きっとこの過剰に異常な状況で、その市販品の普通で当たり前な日常感に安心したのだろう、この時の俺は。 後で思い返せば、今この空間にまともな物など一つも無いと考えて然るべきだったところを、当たり前のように袋を破いて手のひらに転がした数個の小石チョコを、何の疑いも無く一気にまとめて口に放り込んでしまったのだから。 ばきっ! 「ぐあおぅうぅ!?」 完全に折れた。ものすごい血とかも出てるし。 「チョコかと思ったら……マジの石!?ここで!?俺だけ!?何なんだよ畜生!!俺のことだけ嫌いか!?それともこれはもう逆に好きか!?わけわかんねぇよ、くそっ!!」 周囲は半狂乱で美味い美味いとむさぼり食いまくってる酒池肉林のハイパーチョコパーリーだってのに、なんで俺だけがこんな目に遭うのか。 冷静ぶって一歩引いて真面目にツッコミとかやってないで、最初から俺も狂乱の宴に飛び込んでいれば良かったんじゃないのか。 そんなことを思うと、なんだか切なくて泣けてきた。 と、その時、突然に窓の外から強烈な光が降り注ぎ、その眩しさに手をかざしながら、歯の痛みも忘れて外を見ると、やがて光は人の形を為し始め、どこからどう見ても完全に女神といった姿の、薄い羽衣みたいな服しか着ていない、翼の生えた美女となった。 「女神!?まさか本当に女神的な組織!?マジでいたの!?いかがわしい!!」 その声が聞こえたのか聞こえてないのか、女神は俺の方を向き目を合わせた。 俺はとっさに窓を開き、 「おい!?お前、女神的な何かだよなぁ!?これお前の仕業なのか!?このチョコとか!!石とか!!どうなってんだ!?何が目的なんだ!?何がしたいんだよ、おい!?」 酷い目に遭った腹いせも混ざって、つい責めるような口調でまくしたててしまった。 そんな俺を感情の無い超越者のような目で、しばらくの間、冷たく見下ろしていた女神だったが、ふいに口を開き、 「……あんたリアクション普通、つまんない。他じゃもっと面白かった」 と吐き捨てるようにつぶやき、再び強烈な光を放ったかと思うと瞬時に姿を消した。 何が起きたのか、何を言われたのか、どういう意味なのかも、わけもわからずしばし呆然と立ちすくんでいたが、やがてようやく頭が整理され、 「神々の戯れ!?小悪魔的な美女のお遊び!?酷っ!!怖っ!!」 いつものツッコミが俺に戻ったが、 「おいおい誰だよ今のイイ女は!?紹介しろよな!!」 「すげぇな!乳とか超でかかったし!!つーかノーブラだったんじゃね!?」 「あれだけエロい服着てんだからヤらしてくれっかなぁ!?なぁ!!」 俺の口元からだらだらと流れ続ける血を無視して、数人の男子たちが全身チョコまみれで俺に飛び掛かり盛り上がり始めた。 「あぁ、もう、男子校も嫌い!!転校しよ!!ツッコミも辞めよ!!いいなぁボケは自由で楽しそうで!!」 確かツッコミからボケに変えたことで売れた芸人もいっぱいいたよな、とか思いながら出た台詞もしょせんツッコミだった俺は、もはやどこへ行ってもこんなもんかも知れない、などという疑念が浮かび、それを打ち消すかのように首を振り、無意識に手元の袋から手のひらに数個の粒を転がして一気に口へと放り込んだ。 「ぐぁぃおぁあぁーっ!!」 「あははは!!馬鹿だろ、お前!!いやー、今のはなかなかいいボケだったぜ!!」 「ボケじゃねぇっ!!」 「あははは!!だったら天然天然ー!!ダッセー!!」 ……マジで転校しよ……。 さらなる流血に見舞われる俺を取り囲んで狂ったようにはしゃぎ騒ぎ回るクラスメイトに、決意を新たにしながらも、意識が遠ざかり始め、俺は己の涙と血の海の中に倒れ込んだ。 「オイ!寝ても夢オチになんかならねぇからな!!」 意識を完全に失う直前に、最悪の情報を伝える安田の声が聞こえた気がした。
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