見えない指

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見えない指

子どもの頃から男の子みたいと言われることが多かった。それは髪の毛が短かったせいだ。 私は男の子に間違われるのがコンプレックスだった。しかし、スカートは嫌いだった。 矛盾した話だが私は女の子が着る服を自分で着ることが恥ずかしかった。 男に間違えられたくない。女の子扱いもされたくない。そんな子どもだった。  今思うとなんと我がままなことだろう。  男の子に間違えられたくないなら髪を伸ばせば良い。スカートを穿きたくないなら穿かなければいい。  幼稚園で女の子の誰よりも短い髪は目立った。すぐに私だとわかるから便利ではあったらしい。 当時、幼稚園バスの後ろに座っていた男の子に言われた言葉は今でも忘れない。 「女のくせに男の頭をしてる」  私は女の子の輪からも男の子の輪にも入るのが苦手だった。 初めて好きになった人が女の子だったとき。 「私は男の子になりたかった」 私が子どもの頃、まだ同性を好きになっても良いというのが少なく、男同士は聞くけど女同士というのを私は見たことも聞いたこともなかった。 私は本で女の子が女の子を好きになる話が無いか探した。 当時はあまりにも少なかった。 子どもが探せる範囲にも限界があった。 結果として漫画の二次創作ばかりをネットで見ていた。 アニメやゲームの話ができる男の子といるのが楽しかった。 女の子たちの目は冷たかった。 女の子の集団が怖くなっていた。 女の子たちの笑い声が自分に向けられたものな気がして、女の子が好きなのに女の子が怖かった。 笑われている気がして外に出られなくなった。外に出ると笑われる。 カッコ悪い自分が笑われる。お洒落をすると色気付いたと笑われる。 笑われるのが怖い。 見えない指が私を指差す。 見えない人たちが私を笑っている。 親に被害妄想だと叱られた。 優しくして欲しかった。 怠け者だと叱られる日々が続いた。 もっと厳しくしつけるべきだったとも言われた。 私より可哀想な人たちがいるから甘えるなと言われた。 ある日、眠れなくなった。 寝ると朝が来る。朝が来ると学校に行かなければいけなくなる。 やってくる朝に抵抗して眠ることができなくなった。 学校で眠る。叱られる。勉強がわからなくなる。叱られる。塾も進学塾だったから勉強がわからなかった。叱られる。勉強ができない自分は馬鹿だと自分を追い詰める。頭がフラフラしてくる。常に泣く。 友達との距離感がわからなくなる。嫌われる。部活にも居づらくなった。部活を辞めようとした。顧問の先生に「悲劇のヒロイン気取りか。お前は負け犬だ」と叱られた。 学校、塾、家。どこにいても叱られた。 親が私の異変に気づいたのは体育祭の写真だった。顔が笑っていなかった。 そのときにはもう遅かった。 私は学校にも塾にも行かなくても良くなった。 ある日、不登校の子たちだけで集められた施設に通うことになった。 そこの先生の中にかつて学校で数学を教えていた先生に出会った。 私は思わず言った「こんな形で出会うことになるとは思いませんでしたね」。 先生は苦笑した。 私に真っ先に「よろしくね!」明るく声をかけてくれた子がいた。 その子の腕はリストカットのあとでいっぱいだった。 少人数制で10人もいなかった。みんな普通の子に見えた。頑張って学校に行ってみたという子がいた「休みが長かったから学校の授業についていけなかった。周りも先生も教えてくれなかった」といった。 その施設にいたのは三週間にも満たなかったと思う。 三年生の進級に合わせての一時期的な卒業みたいなものだった。 躁鬱病の私は異様に明るく学校に登校して、友達たちにあいさつをした。 そういえば私が学校に行けなくなって心配で家に来てくれたのは1人だけだった。 その1人の子とはもう疎遠になってしまったがすごく嬉しかった。 始業式の日。体育館に集まり、ある表を見せられた。 「これは去年の不登校した人たちの数です」 私の胸はドキリとした。 「32人と約1クラス分ですね。今年の目標は不登校ゼロです!」 私はその言葉にどうしたら言いかわからず、友達に「あの32人の中に自分がいたのって不思議だな」とおどけて見せた。 友達の反応は困った感じだったけど、私にできる自分を落ち着ける方法はこれしかなかった。 高校に入ってイジメはなくなったけどやはり学校に行くのが怖くて仕方なかったのと担任との相性が良くなく、不登校経験者だから預かってるつもりなのか三年間同じ担任だった。 もう10年以上経つが学校に行きたくない。 思い出して泣くを繰り返している。 不謹慎ですけど生徒の自殺事件、殺傷事件を見て「運が良かったですね。私が自殺しなくて」と思ってしまうのです。 私が一歩間違えたら起こしたかもしれないという気持ちが今でも付きまとっている。
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