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少女の『昔』話
昔、彼女は男だった。
男は、海賊衆として貿易船の警護や他の海賊衆との覇権争いなどで毎日海を駆け回り、上司からも可愛いがられて、部下からも懐かれ、慕われる。誰からも愛される海の漢だった。
そんな男の隣にはいつも、同い年の親友がいた。
力が強いだけでなく、頭も良かった親友は風を読み、海の地形を覚え、兵法書も読みこなせる。そんな漢だった。
だからこそ上司からも信頼され、部下からは尊敬されていた。
そんな親友は男の憧れで誇りだった。
男が小さい頃から一緒にいた親友に憧れの情だけでなく、恋や愛に近い感情を抱き始めたのは、親友が他の人と話をしているだけで胸の中にどす黒い感情が渦巻き始めたのは、いつ頃からだっただろうか。
でも男は、その思いを伝える事などしなかった。思いを伝えることよりも、今確実に存在している親友としての絆を、自分にしか許されていない距離感を壊すことの方が怖かった。
そんな思いを抱えながらも月日は刻々と進んでいった。そしてある日の船軍の時、男はいつもの様に親友と一緒に戦に挑んだ。当時所属していた海賊衆は強大な力を誇っており、今回の戦も当然一瞬にして圧勝で終わる…予定だった。
敵船に乗り込み、敵と刃を交えていた時、バシャンっと音が聞こえ、水飛沫が上がった。
「誰か落ちたぞ。」
「敵かそれとも味方か。」
そんな敵の動揺した声が聞こえた。
「今だ、動揺に乗じて叩き切れ。」
そんな味方の声も聞こえた。
「敵だ。敵の水夫が落っこちた。」
敵の声が響いた。男は親友の姿を探した。しかし、その姿を せんじょう に見つけることは出来なかった。
「いやだ。」
目の前の敵を切り殺し、男は必死に水面を覗き込んだ。
まだ一緒にやりたい事があった。また一緒に町に出て遊びたかった。砂浜で競争をしたかった。
まだ言っていない事があった。勝手にあいつの酒を飲んだことを謝っていなかった。馬鹿な自分にも兵法を理解させようとしてくれる事にお礼を言っていなかった。
そして、まだ、まだ、好きだと、慕っていると言えていなかった。
「いやだ。上がって来いよ。冗談だろ。なあ、嘘だって言えよ。なあ。」
彼は海に向かってそう叫んだ。しかし、海からは泡一つ浮かぶことはなかった。
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