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『海』の『昔』話
彼女の去った海には波の満ち引きの音だけが響いていた。
「まさかあいつも、そんな気持ちだったなんて。」
『海』はそう呟いた。
彼女の隣で人間として生きていた時、『海』は親友に恋心を抱いていた。当時は手をつなぎたいとか、口付けを交わしたいとかそう言う気持ちよりも、もっと黒くて本能的な気持ちが体中を支配して、胸に湧き上がって渦巻いていた。
そんな気持ちを親友に伝えられるわけがなかった。
太陽の様に明るい友を自分のこのどす黒い感情で汚したくなかった。
そして、そんな気持ちを押し殺していた日常はバシャンという音と共に壊れた。
「あいつはどんな顔をしているのだろうか。」
深い青に溶けていくなか、俺はそんなことを考えていた。せんじょう の想い人の泣き顔や不安そうな顔を想い出そうとしたが、脳裏に浮かぶのは笑顔だけだった。俺は最後に目を閉じて、薄れゆく意識の中、想い人と交わした、たった一つの約束を思い出した。
その約束は船軍で亡くなった同僚を弔っている時に結んだものだった。
「なぁ、人は死んだら どこ にいくんだろうな。お前なら知ってるか。」
涙で目を腫らした親友が隣でぽつりと呟いた。
「正確には知らないが、俺達は海に還るんじゃないか。海を揺り籠に育ったのに、死んだからといって地上人のように極楽浄土だとかいう訳の分からない場所にいくとは思わないぜ。」
「だといいな。もし、海に還るんだったら、死んだ後も仲間の事見届けられるもんな。」
彼はそう言って笑った。
「嗚呼。」
俺はそう言うだけで精一杯だった。彼が死んだときの事なんて考えたくもなかった。
「そうだ、約束しようぜ。お互い、戦で仲間の役に立って死んで、海に還ることを。」
そう言って彼は小指を差し出した。
「指切りげんまん。ガキの頃よくやったよな。」
「懐かしいな。」
俺はこの激しい胸の鼓動が想い人に届いていない事を祈りながら小指を彼の小指に巻き付けた。
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