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由来
私の話を受けて、奥さんは暫く黙り込んでいた。そして、自身の息子によく似た眼差しを川の水面に遣って、ゆっくりとした口調で語りだした。
「……この川の上流では、毎年この時期になると花燈籠祭りが行われるんですよ。真っ白い花型の燈籠を、川上から流すんです。
この習慣は随分昔からこの村に伝わっていましてね。先の戦争で一旦は廃れましたが、村の人達の希望で十数年前から再開したんです。村の伝統を失ってはならないという理由ですが、それよりも、この村の花燈籠には特別な謂れがあるんです」
奥さんの語りには淀みがない。まるで観光客相手に説明をするガイドのようだ。
しかしそれにしてはどこか声がふわふわとして、泡沫のように消えてしまうのではないかという儚ささえ感じられる。
私が間抜け面で聞き入っていると、奥さんは悪戯めいた微笑みを私に向けて、言った。
「燈籠を流して供養すると、逢えるんですよ」
「逢えるとは、何に?」
「――死者に」
奥さんは再び視線を川へと戻し、固まってしまった私のことなど気にもかけずに続けた。
「花燈籠は村人にとって、個人を偲ぶよすがなんです。自らの手で供養した魂が、故人の形をして燈籠の灯より現れる。ゆらゆらと立ちのぼり、縁者の前に姿を見せては、消える……まるで陽炎のように。
―― 嘘みたいな話でしょう?」
やっとのことで体の自由を取り戻した私は、しかしながら力なく首を横に振った。
「その、あなたも……?」
大切な人の陽炎を見送ったのですか。
奥さんは答えなかった。哀しそうに、しかし穏やかに目を細め、ただ清流を見つめている。
きっとこの川には、川そのものに魂のような大いなる意志が宿っているのだ。其れは流水に在り、川辺に在り、水が打ち付け次第に丸みを帯びる小石に在る。其れは脈々と続く生の営みと死の儀式を繰返し、集い、この流水に満ち満ちる記憶の欠片。ここの村人達は、それを感じ取る鋭敏な力があるのかもしれない。
――奥さんは、水面の煌めきの奥に何を見ているのだろう。何が見えているのだろう。
私が言葉を見つけられないでいるうちに、奥さんはまた私に顔を向け、言った。その声は実体を取り戻していた。
「若い子達は知りませんがね。この謂れから、特にお年寄り方はこの川のことを、『かぎろい川』と呼ぶんですよ。
この川は……この川の本当の名は『千歳川』と言います」
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