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別れの朝
翌朝、民宿で朝食を頂いた後、私は二人に挨拶をしようとタクシーを呼んで二人の家に向かった。二人は温かく私を迎えてくれた。
私がこれから発つことを告げると、奥さんは「そうですか……」と軽く目を伏せ、幹太はじっと私を見ていた。
折角ですから見送りに行きます、と二人は駅まで来てくれた。切符を買って二人の傍に立ち、時間の頃合いを見計らう。
すると幹太は私の顔を見つめ、次には笑顔になり、唐突に言った。
「――良かった。おじさん、元気になって」
「……え?」
「電車で会った時、この人このまま消えちゃうんじゃないかって。もしかしたら、このまま……死んじゃうんじゃないかって」
幹太、と奥さんが鋭い声で諌める。しかし少年はそれを振り払うように続けた。
「ずっと怖くて心配だったんだ……だから、おじさんが元気になって良かった」
私は胸がドキッとした。指先まで一気に血液が駆け巡り、ほうっと全身の筋肉の強張りが解れていくのが分かった。
全て見抜かれていたのだ、この少年には。私自身が気付かなかった、強大な死への願望を。
其れは私の深層心理の奥深く眠っていたはずだった。しかし其れは私の管理が行き届かないように網目を掻い潜り、知らないうちにじわじわと私の体を浸食していたのだった。
それをこの少年は見抜いていた。その上で勇気を振り絞り、私に声をかけてくれた。
文字通り、私は幹太に救われたのだ。
私はこのいたいけな少年を、急に抱きしめたくて仕方がなくなった。しかし寸前の所でそれを抑え、代わりに彼の形の良い頭の上に右手を置いて、徐に撫でた。掌には、刈り上げて少し経った辺りの頭髪のちくちくとした感覚と、子どもの体温が伝わってくる。その温もりより私の手の体温の方が高くて、ああ私は今生きているのだ、と何だか胸の奥がきゅっと締まった。
「ありがとう。出逢えて、本当に良かった」
私は思わず声が裏返ってしまわぬよう、言葉の一つひとつをゆっくりと発音する。少し変に聞こえてしまっただろうか。私は生来の無口さと不器用さを少しばかり恨んだ。
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