津留江《つるえ》村にて

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津留江《つるえ》村にて

 私の住む福岡県から電車で二時間半、大分県大分市の中央駅で支線に乗り換えて更に一時間線路を辿った先に津留江村がある。  少年と一緒に改札を抜け駅を出ると、昼下がりの太陽が私達を出迎えた。山の彼方を越え広く澄み渡る蒼穹に、真っ白な飛行機雲が細く棚引く。  私の知る空は、こんなに大きくなかった。  駅の花壇から壁を這い伝い群生するヒルガオの葉が露を置き、光を受けて煌めいている。 「昨日の夜、小雨が降ってさ……今日は晴れて良かった」  眩しそうに空を仰ぎ、少年がポツリと呟いた。私も彼に倣って仰ぎ見る。  ――洗い立ての青とは、こんなにうつくしいのか。  行こう、と言う少年の後に続いて、私は目の前に横たわるでこぼこ道を歩き出した。  少年の名は幹太(かんた)と言うらしい。今は学校が夏休み中で、毎日遊んでいたところを母親から「何か手伝いなさい」とお使いに出されたそうだ。ザリガニ釣りに行きたかったのに、と彼は豊かな頬を膨らませていた。  そんな話をしながら歩いていると、あっという間に彼の家に着いた。三角屋根の白い一軒家、脇には大振りのキュウリが幾つも生っている。 「ただいま、お客さん連れて来たよー」  ガラガラと玄関の戸を開き、幹太が中へと呼びかける。はーいと応じる声がして、すぐに中年の小太りな女性が一人、奥から摺り足でやって来た。  見たところ幹太の母親だろうか。彼によく似た目で数回瞬きをし、突然の見知らぬ来訪者に驚いているようだ。当たり前である。  思考回路がすっと冷えていくのを感じると同時に、私の両頬は急に熱を持った。 「まあ……一体どうしたの、幹太」 「電車の中で会ったんだ。おじさんの知りたいこと、母ちゃんなら知ってると思って、オレが連れて来たんだよ」 「アンタねえ……あの、私の息子がご迷惑をおかけしたようで。どうもすみません」 「いえ、違うんです」  深々と頭を下げる彼女に恐縮しつつ、慌てて弁解する。 「迷惑をおかけしたのは私の方なのです。いきなりご自宅にまで押し掛けてしまって」  本当に申し訳ない、と今度は此方が謝罪を述べると、「立ち話もなんですので」と奥の居間へ通された。中央に卓袱台(ちゃぶだい)の置いてある、こぢんまりとした和室だ。藺草(いぐさ)の香りが爽やかに鼻孔を抜ける。  促されるまま座布団に座ると、幹太が冷えた麦茶を持って来てくれた。
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