「かぎろい川」へ

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「かぎろい川」へ

 小型トラックの助手席に乗せてもらい川に向かう頃には、時刻は午後三時を回っていた。細い道はあまり舗装がなされてないようだ。建物は少なく、涼風を受け青々とうねる稲田が続くばかりである。  丁度今の時期稲の花が咲くのだ、と奥さんがハンドルを握りながら教えてくれた。稲の花は白く可憐だが、朝早いうちにしか咲かないらしい。咲くと芳しい米の香りが辺りに漂うから、今度見においでなさいとも言われた。  そうこうしながら稲田沿いの道を二十分ほど走った頃だろうか。「着きましたよ」の奥さんの一言を合図に車が停止した。私はズボンの尻の辺りで手汗を拭い、車から降りた。小高い土手を上り、下りて、そして立ち止まる。  私の目の前には川があった。「これが『かぎろい川』ですよ」と話す奥さんの声が遠くに聞こえる。特別大きなわけでも、流れが速いわけでもない、普通の河川だ。ただ水が深く深く澄んで、太陽の照り返しがひどく眩しい。  私は覚束ない足取りで近付くと、半ば倒れるようにして地面に座りこんだ。そして吸い込まれるように水面へ手を伸ばした。  冷たい。  骨張った私の右手を中心に歪な波紋が広がる。  つめたい。  ここが、彼女の愛した場所……。  気づけば幾筋もの涙が私の頬を伝っていた。塞き止められていたダムが決壊でもしたかのように、私の意識から完全に放たれたそれは、眦から溢れて止まらない。私は仕舞には幼子のごとく声を上げて泣き出した。   奥さんが慌てた様子で駆け寄って何か話しかけてきたのは分かったが、答えることはできなかった。
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