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懺悔
「……私には、恋人がいました。長年共に生活をして、結婚も考えていた恋人が」
彼女との出逢いは大学時代にまで遡る。
私は元々研究員として大学勤めを希望していた。院を卒業し、そのまま研究室で仕事をするようになってから、彼女との同棲が始まった。
当時駆け出しの研究員だった私の収入は決して当てにできる額ではなく、生活も苦しいものだった。その為に一つ年下の彼女は会社に就職し、家計を支えてくれた。
にも関わらず、彼女はただの一度も家の仕事を怠ることはなかった。掃除の行き届いた部屋、温かくて美味い食事……家に帰ると、彼女はいつも微笑を浮かべて私を出迎える。
そんなアパート暮らしは十年以上続いた。
「三十歳を過ぎた頃から、彼女は結婚の話を持ち出すようになりました。だけれど、私は良い返事をしてやれなかった。丁度手を離せない研究があって……いいえ、違います」
――さあ、今だ。私は私の弱さを告白しなければならない。
「私は彼女に対して責任を取ることが恐ろしかった。ぬるま湯のような日常を脱することが、二人の関係に一歩を踏み出すことが嫌だった。『結婚』は私の心地好い生活を脅かす魔物だと……私は逃げるように研究に没頭しました」
家庭を望む彼女の無邪気さが現実味を帯びていくにつれ、私の上に重くのしかかっていった。学生時代から既に見寄りのなかった彼女には、私だけが頼りだったのに。
言い争いが多くなり、顔を見て、視線を合わせて話をすることをしなくなった
「そんな生活が暫く続いたある日、彼女は突然死んだのです。今から三年前の、雪深い日でした。 研究も一段落ついて、漸く腹を括って……予約していた婚約指環を受け取りに行く、丁度その日でした」
アパートのベランダからの転落死。遺書はなかった。
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