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彼女は食べかけのそれを、さもおいしそうな顔で傾けてくる。
「いる?」
「食べかけじゃないか」
「もう一つ買おう」
「やめてくれ。安くないんだ」
「買ってやるのに」
と、悪気なく頬を膨らませる。
まったく、何の戯れでこのお嬢様は僕なんかに目をかけるのか。
僕は問うこともせず彼女の前に出る。
「それより、もう遅刻する。君は急げば間に合うけど僕はそうもいかない」
通りの向こうには円錐状の屋根が見えているものの、道がないので迂回しなくてはならない。身体能力が高い人類には地面に伸びる道など意味はないのだが、落ちこぼれの僕は歩いていくしかないのだ。
中心部の建物は屋根に道が作られており、目を凝らせば人影が見える。慌ただしく通学する学生たちだ。
見上げていると、エルダが「私も歩くよ」と言った。
「せっかく大地に道があるしね」
「君の言うことはいつも機能的じゃない」
「機能的さ。ここには人類が失ったあらゆるものがある」
それは彼女の常套句だ。
目的地まで遠い道のり。防寒設備も乏しい場所。時代に取り残された、朽ち果てるだけの旧市街。
住めるものなら、僕だって市街地に住みたいものだ。
少々かちんときて、吐き捨てるように言った。
「こんな所に何がある」
彼女は振り返る。キモノとかいう民族衣装を模した、長い袖が、華やかに翻る。
「効率を求めた人類が捨てた、可能性さ」
そこに浮かんでいたのは、いつもとは違う、柔らかな笑みだった。聖女のような慈愛に満ちていた。
初めて見る幼馴染の顔に呆然としたが、そのさなかに鐘の音が鳴り響いた。
スクールの予鈴だ。
「急ごう!」
エルダが僕の手を引く。身体が浮き、足が地面を離れる。
エルダは僕ごと屋根の上へと跳んだ。突然の浮遊に舌を噛みそうになる。
僕らはあっという間に屋根より高い地点に到達し、わずかな滞空時間、シティの外が見える。
建物を取り囲むようにして高い塀が存在し、その塀の向こうにあるのは。
なにもかも白い、銀世界だ。
エルダは近くの屋根に着地し、手を引いたまま走り出す。旧市街の屋根は人が通るようにできていないので、振り落とされそうだった。
「つかまっててくれ!」
理不尽に言い放ち、エルダは屋根から屋根へと移る。
絵本で見た、猛禽類に捕らえられた餌の気持ちになりながら、僕は身を固くして彼女にしがみついた。
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