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会話の途切れたホームに電車が入ってくる。停車位置に向かって減速する車体が甲高い音を立てるのを聞いていると、敦人の唇が動くのが見えた。
何、聞こえない? と耳に手を当てた遥希の肩に敦人の手が添えられ、上半身が凭れかかってきた。ぐっと踏ん張って支えてやると、身体を伸ばした敦人がすぐそばにいた。電車の音にかき消されないように、片手を添えた口元が自分の耳元に近づくのを見て、遥希は身体を僅かに傾けた。二人の手で囲われた小さな空間が暖かくて、もどかしくて、愛しくて、死にそうだ。
「あの手紙、もしかして俺宛......だった?」
敦人の息が頬に当たった。外の寒さを感じなくなるくらい、一瞬で体中が満たされる。遥希が横を向くと、敦人は肩に置いた手に額を付けて顔を伏せていた。
「また勘違いだったらめっちゃ恥ずかしいな。」
今度は聞き取れる大きさの声だった。
走り出した心臓の音が遥希の頭の中でうるさく響き、答えを急き立てている。こんなに寒いのに、コートの下で薄っすら汗ばんできそうなくらい体が熱くてたまらなかった。
いつもの電車はいつも通り乗車位置から外れて停車し、開き直ったようにうなっている。
「そうだよ……。」
カラカラになった喉から絞り出すようにそれだけ言うと、ふっと敦人の顔が離れた。
「そっか。よかった、ありがと。」
ぬくもりを失った耳元が急にひんやりする。
ゆっくりと隣を見る遥希を真正面から見つめて、敦人は今度は発車を知らせるベルに負けないように声を張り上げてドアを開閉のボタンを押した。空気の通る音がして扉が開く。
「早く乗れよ! またな!」
急なステップを踏みしめて乗り込み、冷気が入ってこないようにすぐに閉まるボタンを押さなければならない。躊躇っていると敦人が声を出さずに「じゃあな。」と唇を動かした。
ドアは勝手に閉まり発車のベルが乾いた空気に響く。
そこで待っていたいと願う遥希の気持ちを代弁するかのように、車体を引きずりながら電車は発車した。
プラットホームに残る敦人が遠ざかって行く。暫く振っていた手が空中で止まり、握りしめられることなく下ろされる。掴みどころのない気持ちを形にしたら、あんなふうなのかもしれない。そんな光景がいつか胸を締め付ける思い出になる予感を噛み締めて、遥希も窓越しに手を振り返した。
完
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