世去りぬ櫻

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「できることならば」  ざわり、と風が()いて梢が揺れる。  生を育む優しき光もそこには届かず、あるのは(くら)き男の姿。 「あなた様はなぜ、かのような場所に」 「そなたに会いたいと願った故に」    男の言葉に、徒和は小さく首を傾げ、翠の瞳を見た。 「わたくしはあなたを知りませぬ」 「それこそ戯言」 「面妖なこと。真意は何処(いずこ)や?」 「そなたの心に」 「まあ、憎い」  童女(わらわ)のような物言いに、男は目を細める。怪とは思えぬ朗らかな(おもて)に、徒和もほほ笑む。 「我が名は、緋寒(ひかん)」 「緋寒」  風変わりな名を、それでも徒和はしかと(おの)が心に刻んだ。 「忘れなまじ、緋寒様。その名は決して」  そのかんばせは親を慕う子のものか、あるいは兄を憂いる妹のものか。  男の翠の瞳が閉じられ、形よきくちびるが弧を描く。  清らかなる徒和の笑みとは違い、其は狂い咲きの花のごとき満面の――      徒和の姫のたわむれは日に日に続き、それでも他は、いつものことと扇の陰にて笑う。  誰も疑うことはなかった。徒和に懐くは物言わぬ草花だと、掴み得ぬ鳥だと。  だが、今の相手は他誰も知らぬ殿方。     
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