世去りぬ櫻

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 なんら変わらぬその(かたち)、その姿。しかして今や、身に纏うは怪と同じ昏き影。  唯一違うは、紅よりもまぶしいその衣――否、血に塗れた直衣である。 「緋寒様」  翠の瞳はやわらなれど、奥にたゆたう闇に気付いた徒和は凍る。  が、逃れんとせす徒和より早く、伸びた緋寒の腕がしかとその身をかき抱く。 「お放し下さい」 「望みをかなえた。そなたの望みを。我と共に、徒和よ」 「他を慕うくちびるでわたくしの名を呼びますまいな」  其が言葉は鋼より固く、するどく凛と屋敷に響いた。  それでも怯むこと、退くことせぬ緋寒が浮かべるはあの、狂い咲きの花と同じ笑み。 「桜を見せよう。そなたの桜を。そなたのためだけに咲かせた桜を」  そして障子は開かれる。  突き刺す光は陽のもので無し、青く、儚き望月の。  ふわりと徒和の体が浮かび、どこかよりか吹き荒れる桜花の嵐に包まれた。 「お放しを」  叫びもがけど誰に届くことは無い。次に気付けば目の前に、あれほど愛でた桜の木がある。  夜の暗き宵、そこに浮かぶは大輪の花。  火よりも赤く、血よりもあざやかな花をつけし、巨木の桜であった。 「……あなや」  震えた。  おののいた。  その色ゆえ。美しさゆえ。艶やかさゆえ……(まが)しさゆえに。  緋寒は、笑う。     
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