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術後の諸々
2019年1月31日の13時から受けた手術は、当初6時間位かかると説明されていたが蓋を、開けると11時間に及ぶ大手術となった。
術後はICUで麻酔から完全に目覚めるまでケアを受ける。
膝下から足先までは血栓防止の着圧タイツ、その上からエアマッサッージャーを装着している。うっ、猛烈に便意が襲ってきた。オムツに排泄するのは抵抗があり、皿型便座をお尻の下に入れて貰うがスッキリ出ない。申し訳ないが何度もナースコールを押してしまった。看護師さん同士の囁く声が耳に入る。「またウンチだよ、きっと」情けなくなる。自力で行けるものなら行きたいけれど、仕方がない。
夜が明けた。右隣の部屋にはオジさんだ。大きな声で看護師さんに絡んでいる。元気だな。
私の所には外国人看護師さんが朝の担当として、検温に来た。
看護師さん「何かありますか?」
私「トイレへ連れて行って頂きたいのですが」
看護師さん「えっと、確認してきます」
面倒臭い事を頼んでしまったが、仕方がない。
担当看護師さんが車椅子を用意して戻って来た。術後の私は点滴の他にも色々な管が繋がっていて、移動だけでも大ごとだ。
担当看護師さんを敢えて外国人と書いたのには理由がある。差別ではなく、根本的に価値観が違うと痛感したからだ。これは国民性だろうから仕方がないのだが、心配りや配慮や気遣いが大切な役割には向き不向きが有るのだ。
担当看護師さんは、術後の患者を乗せた車椅子を猛スピードでおしていく。車椅子で乗り物酔いは初めてだ。
トイレで用を足す事が出来たが、車椅子の乗り物酔いで体調が悪くなっている。
当日スケジュールがおしているらしく、担当看護師さんは焦っている。私に降圧剤を飲むようにと薬と水を持ってきてくれたが、検温の時に血圧は100と52だった。降圧剤なんて飲む必要が無い状態の筈だ。担当看護師さんは疑問を感じていない様なので、「血圧が100と52なのに降圧剤を飲む理由はなんですか?怖いから飲めません!」と拒否した。担当看護師さんはイライラしながら「11:30には病棟に戻らないといけないのに…病棟の方で薬は確認してね」と言い、今度は病棟へ向かい車椅子を猛スピードでおし始めた。
私「少しスピードを落として頂けませんか」
看護師さん「時間が無いから」
どんどん具合いが悪くなり、車椅子に座ったまま下痢をしてしまった。便は背中の方へ漏れてしまっている。自分が物になったようで哀しくなった。
病棟のエレベーターホールには、出来る看護師の松本さんと高野さんが出迎えに来てくれていた。ホッとして涙が出てきた。外国人看護師さんは機械的に引き継ぎをして早々に戻って行った。松本さんと高野さんに「私、ウンコまみれです。背中まで。」と泣きながら伝えると、2人とも見事な連携でベッドにもしもの時の防水シートを敷き、背中までウンコまみれの私を広いトイレに連れて行き背中を洗い流してくださり「もうカテーテル外しますね。一つ減ると楽でしょ」とカテーテルを外しパンツタイプの紙オムツに交換してくださった。そして、いつの間にか降圧剤の件も医師に確認して下さっていた。松本さんと高野さんから、「血圧が高くないので降圧剤は飲まなくて大丈夫ですよ」と聞き更に安心した。そして、術後の基本スケジュールの説明と私に繋がっている管の説明を受けた。一番小さく黄色い丸い物は背中から伸びていて、脊髄に直接入れている痛み止めで明日には外す予定。腹部には4つの穴から管が…これは腹水を排出する為のドレーンで、状態を見ながら徐々に外していく予定だ。後は点滴。
出来る看護師の松本さんと高野さんは昼シフト専門なので、夕方までは安心して過ごすことが出来た。
夕方には若く可愛らしい看護師さんの川端さんと他の方は名前を思い出せない。
川端さんは控えめで可愛いらしいが、大切な事にはスパルタだ。昨日11時間の開腹手術を受けた私に、数歩でいいから病棟の廊下を歩くようにと促す。介助をするから歩きましょうと促す。腸が癒着しないように歩かなくてはいけないらしい。色々な意味で疲労困憊しているが、歩く、歩く、歩く。
退院の目標は基本スケジュールで術後3日らしいが、私の場合は1週間くらいをみておくよう言われた。
後日、執刀医と執刀チームの医師から摘出した細胞の病理検査の説明などを受ける予定だ。
今はドレーンを早く外す為にも歩く、歩こう。
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