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「ヒミちゃんて、よっぽど卓球が好きなんだね」
「うん……なんかさ、子供の頃から卓球の音が、なんとなく心地いいんだ。
ピンポン玉が弾むあの音に、不思議と心が安らぐって言うか……」
「ふうん、珍しい感受性だね。
まさに天性の卓球少女なんじゃない?
もしかしたらヒミちゃんも、世界を相手にできる卓球選手になれるかもよ?」
「まさか……あたしにそんな実力はないよ。
もし仮に、あたしに凄い卓球の才能があったとしてもさ。こんな環境やこんな安物のラケットじゃ、そんなの無理に決まってる。
なんかさ、生まれた時の環境で、その人の人生ってだいたい決まっちゃうよね」
月を見上げて赤らむヒミちゃんの横顔が、なんだか切なく見えた。
親が貧乏なばかりに、大学に行けない子供の話なんかは良く聞く。
実際それを宿命として、自分の未来の可能性を狭めてしまう者も多いんだろう。
それでも星野選手は、それを跳ね退けて成功したんじゃないか。
だからこそこの地区の、希望になったんじゃないか。
微かに聞こえたヒミちゃんの溜め息に、何となく俺は悟った。
星野選手はこの地区にとって、目指すべき指針ではなく、誇るべき伝説になっているのだと。
ヒミちゃんでさえも、とっくに彼の事は、手の届くはずのない雲の上の存在になってるんだろう。
全ては“金”によって動かされる世の中。
現実とはそういうものなんだろうけど、かく言う俺はどうなんだろうか。
親父はけっこうな高給取りで、何不自由ない家庭だとは思う。
それでも俺は実家にいた時よりも、ここにいる方がはるかに満たされているのは何故なのか。
ヒタと肩に置かれた手の感触は、ニョロさんのものだった。
彼女は2人の肩に手を乗せ、月の光でメガネを赤く反射させながら言った。
「古代マヤでは、赤い月というは新しい流れの象徴だったのです。
同時にマヤでは、猫は神の使いとして崇められていました。まぁ、バステト神なんかが代表的な例ですね。
先のことなど、ここに限らずどこに住んでる人だってわかりませんが……
星の猫がわたし達にとって、良い流れをもたらしてくれることを願いましょう」
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