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そう告げた途端、婆ちゃんが一瞬だけ真顔になったように見えたが、すぐに昔を思い出すみたいに遠くを見つめて言った。
「ああ……シュンちゃんね。
勿論、あの子の事は子供の頃からよく知ってるよ」
俺はこのピンクババアが、かれこれ40年近くこの地区で暮らしている、屈指の古株だと言うことを思い出したのだ。
この婆さんならば、星野選手と同じ時を過ごしたんじゃないかとの推測が、見事に的中したみたいだった。
いつもは避けて通るこの人にさえ、果敢に歩み寄った俺は、やっぱり星の猫が気になっているんだろう。
でもそれは、そんな見え透いた夢物語にすがりたい気持ちからじゃなくって、単純にこの場所のことをもっと知りたかったから。
ヒミちゃんや、松さんや、他のみんなに流れる根幹的な部分を、もっと自分も共有したかったから。
「実は今日俺、初めて星野選手のこと知ったんだよね。
ここのみんなの英雄のことを俺だけ知らないなんてさ、なんか嫌じゃん」
「そうかい。
まぁ、ヨウちゃんはここに来てまだ4ヶ月だからねぇ」
「うん、婆ちゃんなら、きっと詳しいと思って。
婆ちゃん、ほら、この弁当あげるから食べてよ」
「いいのかい?
それじゃあ、立ち話もなんだから、ちょいとアタシの部屋に上がっておいきよ。
なぁに、取って食いやしないから安心しな」
ピンクババアは同じアパートの1階に住んでいたけど、部屋に招いてもらうのは初めてだった。
玄関をくぐり、まず真っ先に感じたのは、安っぽい香水と粉っぽい化粧が混じったような匂い。
間取り敵には俺の部屋と変わりないが、それでも一応は女らしく、そこそこ小綺麗に片付けてある。
しかし老婆の部屋とはとても思えないのが、衣装ハンガーにかかった色とりどりの派手な服。
ピンク色が中心だけど、他の色もどれも、今時の若い子さえドン引くような毒々しい奇抜さを放っていた。
他にも数種類のウィッグなんかもあり、この婆さんの、何がなんでも老いに逆らいたい体質が部屋中に充満している。
ちょいと待っててね、と断ってから、婆さんは奥の戸棚を何やらゴソゴソとまさぐっている様子。
出された生ぬるいほうじ茶を飲みながら、待つこと10分あまり。
戻ってきた婆さんの手にあったのは、古い1枚の写真だった。
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