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お互い全くの無言なためか、2つの足音が暗い夜道にやけに響いていた。
自分が置かれた状況を整理しようと頭を巡らすが、いまいち呑み込めないまま、老人はさっさと前へ行ってしまう。
これからどこに行くのか──
この男を信頼していいのか──
そんな疑念が次々浮かぶが、思いとどまる隙を与えないような歩調に、俺の体は否応なく牽引されていた。
と、前を行く白髪が、前触れもなく左の小路に消えた。
見失ってはいけないと思い、足を早めると、そこは小さな飲食店が雑多に建ち並ぶ路地裏。
表の整然とした見映えの通りとは、急に景色が一変し、人々の生活臭が滲み出している。
こんな所には案外隠れた名店なんかがあるもので、このジイさんけっこう通(つう)なのかも、とか束の間の期待。
しかし老人が、その通りを脇目もくれずに突っ切ると、
景色はたちまち荒廃してきたものだから、淡い期待は不安へと一変した。
狭い箱庭にごちゃごちゃと詰め込んだように、家ともいえない掘っ立て小屋が乱立していた。
割れた窓をブルーシートで補強している家は、明かりがついているから、あれでも廃屋ではないのだろう。
道端に、はみ出すほど積まれた古タイヤの山。
所々に街灯はあるが、どれも行灯(あんどん)のように薄暗く、うち1つがチカチカと点滅している。
居酒屋らしき看板のある辺りでは、ヘドロと香辛料が混ざったような異様な匂いがした。
一目見て、およそ中流の人間の住む所ではなく、それこそ社会の最底辺区域とわかる。
表のきらびやかな大通りの世界から、追いやられた者達の場所──
地理的な状況から、なんとなく思いあたることがあるような──
“あっ!”と思い出して立ち止まったのと、老人が指を指して止まったのがほぼ同時だった。
「ほら、あの食堂がうちの店だ」
老人が示した他のボロ屋と変わらない木造を見ながら、身体を走った鳥肌は寒さのせいだけじゃない。
そうだ。
ここは、表の世界の人間達から、
通称“ハキダメ通り”と呼ばれている場所に違いない。
行き場を失った者達が集う貧民窟。
凄惨な殺人事件があっただの、子供の人身売買が行われているだの、中国マフィアが隠れ家にしているだの──
とにかく不穏な噂しか聞かない区域だった。
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