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「セミはね、土から出て、一週間で死んでしまうの、そう力一杯生きてね」一っちゃんは、かかげた虫籠をじっとのぞきこみ言った。少年は一っちゃんの言葉で本当に蝉がかわいそうに思えてきた。
「逃がしてやろ」
少年は一っちゃんの目をじっと見た。優しい目だった。不気味な一っちゃんに対する印象など忘れてしまっていた。虫籠をあけた。セミはパアッと森の上に飛び立っていった。
少年はそれを目でおった。風が吹きぬけた。気付くと一っちゃんはもういなくなっていた。森の入口でひらひらと赤いものが輝いていた。
田辺の家では一っちゃんの父親は息子の為に寝こみ、その息子のことを心配しながらもとうとう死んでしまった。葬式の日、一っちゃんは男ものの喪(も)服を着せられていたものの、唇にはやはり紅をさしていた。そして、わんわんと誰よりも泣いているのだった。それから一っちゃんの頭は前よりもおかしくなったようだった。
冬だというのに村を赤いゆかたを、帯をひきずって着、意味もなく「ホッホホホホ」と笑い声をたてながら。
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