結婚までの生活

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徳子の料理に関して彩子には思い出があった。彩子は小さい頃、身体が弱くて よく風邪をひいていた。そんな時、徳子は ほうれん草粥を作ってくれた。粥に ほうれん草と卵を入れたものだった。それが とても美味しかったのを覚えている。風邪をひいていない時は 殆ど 魚料理。秋田なので、ハタハタという魚がメインだった。魚 そのままの姿で焼いたり煮たりで子供の頃は 正直なところ嫌いだった。ハタハタが出ない時はニシンを焼いて出す。これがまた、骨が多くて彩子は殆ど食べなかった。 今でも彩子は魚料理が好きではない。だから徳子の料理で好きだったのは ほうれん草粥だった。たまに、祖母直伝のカレーを作る事があったが だいたい固形のカレールー。家ではバーモントカレーを細かく刻んで、更に小麦粉を混ぜて作っていた。彩子は子供の頃、祖母が一生懸命 カレールーを刻んでいるのを見てカレーってこうやって作るんだって思っていたが、大人になってバーモントカレーの箱を見たら小麦粉を混ぜるとは書いてなかった。かさまし?そんなに貧乏だったの?いやいや、裕福ではなかったが貧乏でもなかったはず。祖母直伝の徳子のカレーは ご飯にかけても横に垂れない。まるで ご飯がカレーの帽子を被っているようになる。味は小麦粉を混ぜているから薄いと思うだろうが そんな事はなくて非常に 美味しかった。コクが凄いって言うか。このカレーに関しては、彩子の夫も絶品と言ってくれた。今でも夫は母のカレーを食べたいと言ってくれる。 徳子の料理で不思議だったのは日曜日になると、台所から居間にサロンというストーブみたいなものを運んで、片手鍋を使い 1人分ずつラーメンや うどんを作ってくれた事だった。まるで お店状態。麺類が好きな明夫は日曜日が来るのが楽しみで サロンを運ぶ係は明夫だった。結構、重いサロンだったがニコニコして運んでいた。一番先に明夫のラーメン、次に祖母の うどん、その次は彩子と妹のラーメン。徳子のラーメンは一番最後だった。ラーメンは市販の蒸し中華、うどんは蒸しうどんを買って、スープも市販の物。本当の店のラーメンとは違って彩子は半分食べると飽きてしまった。それに比べて明夫は おかわりをする。「よく、食べるなぁ。」彩子は明夫を見て、毎週 そう思っていた。徳子は明夫の要望を叶えていたのだが、彩子は どちらかと言えば日曜日のラーメン屋は嫌いだった。
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