31人が本棚に入れています
本棚に追加
/8ページ
「戸塚くん」
凛として、響きのいい声が部屋に響いた。いい声だ。あのねじ曲がった性格には本当に勿体ない。思わずほうっと聞き惚れていたら、今度は咎めるように低くなった声で、「戸塚くん」と呼ばれた。
「ひゃい!」
腑抜けた返事をして立ち上がる。相手は不服そうな顔をして、持っていた紙束をペラペラと振った。
「これ、頼めますよね」
「頼めますよね」とは随分な言い草だ。アンタには俺の机が見えないのか、眼鏡を新調しろと心の中で悪態をつく。戸塚の机の上は、資料で溢れかえっていた。
「……今すぐには……」
「では、時間があればできるんですね」
そうだけど、そうじゃない。お前の駒ならいくらでもいるだろうってことだ。なんでよりにもよって俺なんだ。
だが、そんなことを言えるはずもない戸塚は、黙って紙の束を受け取った。
「これは今週中でいいですから」
「今週中というのは、金曜日までということでしょうか……」
「そうですね」
それは言い換えただけで、つまり二日以内にやれって事じゃないか。カレンダーをちらと見ながら、戸塚は溜息をつきたい気分になった。
「大事な仕事ですから、よろしくお願いしますね」
そんな大事なものを、こんなギリギリに渡してくるんじゃない。何を考えているんだ。
「……不満ですか?」
ニヤリと笑った彼を見て、ああ、Domなんだな、と確信した。いかにも、従順な犬が好きそうだ。
この世界には、男女の他に、DomとSubという性別が存在する。ざっくり言うと、虐めたい人と虐められたい人。人によって違うために、一概にそうとは言えないが。
「不満だなんて、そんな。大事な仕事を私に下さって、ありがとうございます」
戸塚はニコッと笑って見せた。ああ、この男を屈服させられたならどんなに気持ちがいいだろう……などと考える戸塚もまた、正真正銘のDomであった。
「頼りにしていますよ」
作り笑いには、作り笑いで返された。本当に嫌な性格だ。いいところなどひとつもない。
「光栄です、和泉さん」
笑っていない瞳が、和泉を捉える。和泉はいかにも楽しくなさそうな顔をして、その場を去っていった。
最初のコメントを投稿しよう!